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『子供はわかってあげない』(田島列島)





夏休みを目前に控えたころ。水泳部所属の高校二年生・朔田さんは、テレビアニメを通じて仲良くなった書道部所属の門司くんの家で、一枚のお札を見つける。とある新興宗教によるものだというそのお札は、去年の誕生日に朔田さんの家へ送られてきたものと同じものだった。朔田さん曰く、「送り主は書いてないけど、たぶん私の実の父親から」。これをきっかけに父親を探すことを決意した朔田さんは、古本屋に居候しながら探偵をしているという門司くんの兄である明ちゃん(オカマ)に本件を依頼する。直後、明ちゃんの元に、問題の新興宗教の人たちがやってきて……。

2014年に「モーニング」誌上で連載されていた作品。後に、“マンガ大賞2015”第2位となったことを記念して、Webコミックサイト「モアイ」でアンコール連載を開始した(私はここで本作の存在を知った)。ごくフツーの女子高生が新興宗教と繋がっている実の父親の所在を調べる……という設定だけを見るとハードボイルドな印象を受けるが、作風の過剰なほどの軽やかさが、その重みを完全に凌駕している。例えば、朔田さんと門司くんの出会いにしても、門司くんが屋上で不良たちに絡まれて……という衝撃的な場面がきっかけとなっているのに、朔田さんがその不良たちに立ち向かうために小銭を拳の中に入れるシーンが丁寧に描かれていて、そのバイオレンスさよりも朔田さんのエキセントリックさが強調されることで、その苦味を和らげている。本作にはそういう描写が少なくない。シリアスなシーンをあえてシリアスにし過ぎない、適度な塩梅の良さが、とても心地良い。とはいえ、決してぬるま湯に浸かっているわけではなく、その枠内に収まっている状態で感動をしっかりと刻んでいる。終盤、ちょっと思わぬ展開になっているのも、個人的にはかなり良かった。あー、たまんねぇなあ!

「♪夏がくれば思い出す」のは遥かな尾瀬と遠い空だったが、『子供はわかってあげない』はまさにそんな印象の作品だった。青空のように健やかで、夕焼けのように包み込んでくれて、田舎の夜のように薄明りが灯っているような、子供の頃に感じていた、あの夏。純粋に夏休みを堪能していた、あの夏。夏が来る度に、私はこの作品を思い出すことだろう。ああ、そういえば、今年はまだ海に行っていない。
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『死ぬ前に1回やっとこう』(小山健)



ひきこもりがちな漫画家・小山健が、これまでに一度も体験してこなかった様々なことを「死ぬ前に1回やっとこう」の勢いで実行してしまうレポート漫画。ネット上に公開されていた漫画をまとめた単行本で、幾つかの漫画は以前に読んだことのあるものだったけれど、内容にはけっこう満足した。一つ一つの漫画にコラムがついているのが地味に嬉しい。このコラムが、また小山氏ならではの味わいというか、そのしりあがり寿を思わせる粗い画風に似たようなユルさを漂わせていて、とても面白かった。

肝心のテーマは、大きく二つのパターンに分けられる。「バーに行っとこう」「ナンパをしとこう」「キャバクラに行っとこう」などの、気持ちの問題さえどうにかなれば簡単にハードルを超えられそうなものと、「サバゲーをやっとこう」「女装しとこう」「リアルファイトをしとこう」などの、ちょっとした手続きが必要なだけちょっとだけハードルが高くなっているもの。どっちのパターンも面白かったけれど、後者は平凡な日常風景からかけ離れた世界を覗き見している楽しさも加味されていて、その分だけ、前者の方が小山氏の特色がより強く表れていたように感じられた。個人的に印象に残っているのは「ナンパをしとこう」。ナンパをすることになってから結果が出るまでの流れにムダがない。インパクトの点では「女装しとこう」も凄かった(コラムで書かれている裏の話も凄かった)。

でも、本当に印象に残っているのは、「バーに行っとこう」「サバゲーをやっとこう」の序盤部分に描かれている、小山氏が「死ぬ前に1回やっとこう」と思うまでの流れだった。「本物のこの世界にうまれて、ニセ物しか知らずに死んでいくのか」というモノローグの重いこと重いこと。だけど、それは真実だ。私たちは本物の世界に生きているのに、その多くについて触れることなく死んでいく。それでいいのか? バカボンのパパならば「それでいいのだ!」というだろうけど、でも、本当にそれでいいのか? 「それでいいのだ!」って、自信をもって言えそうにないよ。

だから、みんな「死ぬ前に1回やっとこう」!

『僕のビートルズ音盤青春記 Part 1 ~1962-1975~』(牧野良幸)



1958年生まれの牧野良幸氏が、その人生においてどのようにビートルズの音楽と接してきたかを記したエッセイ。全二巻を予定しているようで、本書には生まれてから高校生時代までの出来事が描かれている。フォントサイズは大きく、またイラストの数もやたらと多いので、とても読みやすいところが魅力だ。LPごとのエピソードが2ページくらいにまとめられているので、ちょっとした時間を潰すときにはかなり重宝した。

だが、その読みやすさが故に、値段の高さ(税抜1,667円)と見合っていないようにも感じてしまい、当初はなかなか購入に踏み切れなかった。しかし、ある日思い切って書店で手にしてみたところ、これがたまらなく面白かった。ただビートルズの凄さを称賛するような内容ではなく、当時の牧野氏がビートルズの音楽をどんな風に感じていたのか、その心情が明け透けに描かれていて、とても親しみが持てるのだ。

例えば、初めて購入するビートルズのLPに『アビイ・ロード』を選ぶも、いざ自宅で聴いてみると想像していたモノとは違っていたので、再度レコード店に赴いて、聴いたことのある『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と取り換えてもらったというエピソードがあったりする。こういう多感な時期ならではの行動を包み隠さず語ってくれるところが、実に味わい深い。あと、自転車の「バ、バ、バ!」には笑った。自分も似たようなことをやらかしたことがあったなあ……。

ビートルズの作品そのものには深く触れず、それを聴き取った自身の気持ちの揺れ動きを表現することで、楽曲の魅力を浮き彫りにしている。ビートルズをちょっとでも知っている人ならば、楽しく読むことが出来るのではないかと思う。無論、純粋にエッセイとして読んでも、かなり面白いぞ。

『その「おこだわり」、俺にもくれよ!!』(清野とおる)



『東京都北区赤羽』の作者として知られている清野とおるが、日常生活の中で別にこだわらなくてもいいようなことに敢えてこだわっている人(=おこだわり人)に取材して、伺った思い出話や仕入れた情報などをまとめたルポルタージュ漫画。なんとなく、『孤独のグルメ』や『食の軍師』などの食べ物系漫画を手掛けてきた久住昌之を思わせるテーマだが、実際に食べ物を取り扱ったネタが多い。ただ、久住昌之と決定的に違っているのは、そのこだわりが日常に寄り添っているため、簡単に試すことが出来る点だ。「ツナ缶の男」での氷結とツナ缶、「ポテトサラダの男」での金麦とポテトサラダあたりは、いずれ試してみようと思う。あと、いつかやってみたいのが、「寝る男」の夏の寝る楽しみ。なんだか、とても楽しそうではないかっ。

本書が面白いのは、冷静に情報だけを噛み砕いてみると、実質的には大したことを話していないという点にある。例えば「コンソメパンチの男」の回は、おこだわり人がコンソメパンチとの思い出話に花を咲かせているだけで大半の頁が割かれ、最終的にはコンソメパンチの男が目隠しした状態でコンソメパンチを食べてもきちんと違いが分かるのかを試すという、よく分からない展開を迎えている。漫画でそれをやっても何も伝わってこないぞ。でも、そこが面白い。思うに、本書で重要なのは、情報よりも熱量なのだ。その熱量の高さがもたらす異常性というか、隠された本性みたいなモノが面白いのだ。とはいえ、笑っている場合ではない。恐らく、私たちもまた、私たちが知らないうちに彼らの様なおこだわりを胸に抱いている可能性があるのだ。その気持ちに気が付いたとき、私たちもまた、何かのおこだわり人なのである。

……ところで、おこだわり人に独身者が多いのは、やっぱり時間を持て余しているからなんだろうか……。

『女の友情と筋肉』(KANA)





某世紀末漫画を彷彿とさせる超肉厚的な筋肉をみなぎらせながら恋に仕事に頑張る三人の女性たちを描いた四コマ漫画。インターネット上のとある界隈では、筋骨隆々としたアスリート系の女性たちが「モテない」ことをネタにして笑う傾向が見られるが(彼らはきっと、それもまた愛なのだと言ってのけるだろう)、本書もその類の漫画なのではないか……と、読み始めた当初は感じていた。だが、ページをめくっていくと、彼女たちにはしっかりと恋人と呼べる相手がいて、ちゃんと仕事と向き合っていることが分かる。時には某格闘ゲームの某波動拳みたいなものを発射することもあるけれど、単なるキャラクターではなく、ちゃんと女性として描かれているのである。そう思えば、このエネルギーに満ち満ちた筋肉も、厳しい現代社会に生きている女性たちに必要な原動力の比喩といえるのかもしれない……って、流石に深読みが過ぎるか。純粋に四コマ漫画としても、笑わせ方がバリエーション豊富でなかなか読ませてくれる。主役三人以外のサブキャラクターもクセがあって魅力的(また三人の彼氏がそれぞれ良いキャラクターしてるんだよなあ……)で、味わい深い。

『岡崎に捧ぐ』(山本さほ)



人付き合いが良いとはいえない私にも友人と呼べる人間が何人かいるのだが、彼らの多くは大学生時代に知り合った者である。同じサークルに所属していたり、同じような趣味を持っていたりしていた彼らとは、大学を卒業して数年が経過した今でも、ネットを通じて言葉を交わすことが少なくない。無論、小学生の頃から付き合いがある、いわゆる地元の友人もいないわけではないのだが、その多くとは高校卒業をきっかけに疎遠となってしまい、そのまま連絡を取らずにいる。逆にいえば、この“高校卒業”という高いハードルを飛び越えて、今でも交流を続けている小学生時代からの友人とは、非常に強い縁で結ばれているといえるのだろう。単なる腐れ縁なのかもしれないが。

山本さほのエッセイ漫画『岡崎に捧ぐ』は、小学生だった当時の筆者が岩手から横浜に引っ越してきて、ひょんなことから友人関係になった岡崎さんとの日々を描いた作品だ。育児放棄されている岡崎家ではゲームを何時間プレイしても怒られない、という決して健全とはいえない理由で始まった二人の繋がりは、しかし利害関係を超越した強固な友情に成っていく。岡崎さんは「私きっと、山本さんの人生の脇役として産まれてきたんだと思う」と言い、対する筆者は「自分の人生楽しみなよ…」と返す。一見すると、アンバランスで、歪な関係性。でも、それでも、二人にとっては、それで何も問題はなかったのだから、それでいいのだ。第15話、知らない街へと出かけて、夕焼けの中で将来のことを語り合う二人の関係の前に、ジャマするものは何もないのである。

あの何も考えずに毎日を過ごしていた時代を共有した友人に、連絡を取ってみようかと少し考えさせられた作品であった。まあ、取らないんだけれど。

所ジョージと「餌のない釣り針」



“ロックンロールをもっと面白くする本”というテーマを掲げている『SHAKE』は、ミュージシャンを中心に取り上げたムック本だ。巻頭特集の「甲本ヒロト 蓄音機とアナログ・レコードの現在地」をはじめとして、浅井健一×加藤ひさし、尾崎世界観、和田唱などのミュージシャンたちが、それぞれの趣味嗜好について語っている。

そんな顔ぶれの中に、何故か所ジョージがいる。

何故か、という表現は失礼にあたるのかもしれない。1977年にデビューして以来、所はシンガーソングライターとして(たまに休みながらも)活動し続けているからだ。とはいえ、世間の彼に対するイメージは今も昔もテレビタレントであって、先に挙げたようなゴリゴリのロックンローラーたちの中に紛れているのを見ると、どうしても違和感を覚えてしまう。無論、それがいけないというわけではない。むしろ、十年来のミュージシャンとしての所ファンとしては、とっても有り難い。どんどんやってほしい。

だが、どんどんやってもらうためには、もうちょっとミュージシャンとしての所ジョージが世間から注目を集めなくてはならない。世間から注目を集めるためには、そういった曲を書かなくてはならない。でも、所はそういった曲を書かない。「本当は歌謡界にも入りたいんですよ」と言っているにもかかわらず、売れる方向へとまったく寄せるつもりがない。何故か。寄せずに売れた方が面白いと思っているからだ。

「たいしたことないものなんだけど、すごく評価されないかな?」というところが面白いところでね。間違ってこっちに評価がこないかなっていう(笑)。「餌がついてないのに針だけで魚を釣りたい」みたいな感じ。「針だけでなんとかなんない? この針だけで疑似餌に思えない?」というのが面白いんです(笑)。


ミュージシャンとしてはまったく売れていない所がこういったことを口にすると、負け惜しみのように聞こえなくもない。だが、餌がついていなくても、針に対する姿勢が真剣だということは、近年の彼の行動を見れば明らかだ。レコード会社とやるのが面倒臭くなったという理由で自主レーベルを立ち上げ、700円(税抜)の超安価なフルアルバムをリリースし、「世田谷ベースで曲を作っているときが一番熱いから」とYouTubeで新曲を発表し続ける。


寄せない、媚びない、甘んじない姿勢は、世間が抱いているであろう所ジョージの「自然体」とはまったくかけ離れている。だが、この姿勢こそ、所が「自然体」であることの証明であるようにも見える。

そんな所が、6月にニューアルバム『JAM CRACKER MUSIC3』をリリースする予定だという。

自分への確認って言ったら大げさだけど、これをバーンと出しても、「いやいや、まだまだ在庫があるからね」っていうことを確認したかったんです。「頭のなかから(歌が)出てくるからね」っていうことですよね。もしも限界だったら、このCDにしがみつくけどね。でも「いやいや、こんなのは氷山の一角ですよ」という気持ちでいたいんですよ。


そして今日も、所は餌のない釣り針を世間に垂らし続ける。食われるか、食われないか、その反応を楽しみながら。

『2DK』(竹内佐千子)

2DK 2013 WINTER (KCデラックス モーニング)2DK 2013 WINTER (KCデラックス モーニング)
(2013/12/20)
竹内 佐千子

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2DK 2014 SUMMER (KCデラックス モーニング)2DK 2014 SUMMER (KCデラックス モーニング)
(2014/07/23)
竹内 佐千子

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性格は正反対だけど“若手俳優が大好き!”という共通点を持つ二人のアラサー女性が、テレビに舞台にDVDに明け暮れるルームシェア生活を描いた3ページ漫画。Webコミックサイト『モアイ』で現在も連載されている作品である。当初は別の作品が気になってアクセスしていたのだが、なんとなく読み始めてみたところ、一話が3ページで終わってしまう読みやすさに加えて、シャープでポップなタッチで描かれたキャラクターたちがかわいくて、すっかりハマってしまった。ジャンルは違えども、同じエンターテインメントの世界に魅了されている人間が描かれているという点に、ただならぬ共感を覚えたことも大きいように思う。お隣さんが韓流アイドル好きで、不動産屋さんがハロプロ好きという幅の広さもいい。お笑い好き担当がいとこの小学生ってのはちょっと引っ掛かるが。

とはいえ、読み始めた頃は、主人公たちの恵まれた環境に発狂しそうなほど嫉妬したものである。東京の三軒茶屋という劇場・握手会などに適した場所に住み、好きなモノを追いかけ続けていることに対してまったく咎められず(考えてみれば当たり前のことなのだが、案外世の中には他人の楽しみにケチをつける人間が少なくない)、アラサーで独身なのに家族は結婚を急かそうとしないし、そしてなにより、自分が愛して止まないモノを共に追いかけている仲間がいる……この世界は夢かマボロシか、さてはここが“理想郷”ガンダーラなのか……。流石に私も大人なので一週間くらいで狂気は収まったが(けっこう長いじゃねーか)、こうして文章にしてみると、改めて羨ましい。地方者としては、本当にどうにかしてもらえんもんじゃろかいのう。何を。

別ジャンルの人たちがどのような態度で好きな人たちのことを考えているのか、思っているのか、その紆余曲折、喜怒哀楽、右往左往を覗き見気分で楽しめる一作である。若手俳優が好きなのに、彼らが出ている作品がクソだった時のフクザツな気持ちとかもストレートに描かれていて、「好きな役者が出ていても、それで全肯定というわけではないんだなあ」とごく当たり前のことに気付かされたりもするので、そういった偏見を抱いている人は読んだ方が良いのかもしれない。

『今日を歩く』(いがらしみきお)

今日を歩く (IKKI COMIX)今日を歩く (IKKI COMIX)
(2015/03/13)
いがらし みきお

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本屋に行くと、いがらしみきおの新刊が平積みされている。別の本を買う予定だったのだが、お金を少し多めに持ち歩いていたので、躊躇無く購入を決意した。子どもの頃は、お小遣いが限られていたこともあって、本を買うときにはかなり考え込んだものだが……大人になって、懐にも余裕が出てきて、気が付けば購入のハードルが随分下がってしまったものだ。それ自体は喜ばしいことの筈なのに、不思議と物そのものの魅力が薄れていくように感じてしまうのは、どうしてなのだろう。結果、三冊の漫画本を買ったのだが、値段が2,000円近くもかかったことに、少し驚いてしまった。私の感覚では1,500円くらいだろうと思っていたのだが……消費税が上がったというニュースを目にして結構な時間が経っているが、この変化に対して、未だに私の意識は追い付けていないようだ。

いがらしみきおといえば、『ぼのぼの』『忍ペンまん丸』など、可愛らしい動物をモチーフとした作品で知られているが、本作は“散歩”という、とてつもなく渋いテーマを扱った作品となっている。いがらし氏が自宅の近辺を散歩しているときに目についたもの、人、体験した出来事などを漫画に描いている。要するにエッセイコミックなわけだが、その作品が不条理マンガ・哲学マンガと称されることも少なくないいがらし氏の目を通して描かれているため、その着眼はなかなかに独特だ。道端に落ちているトランプの8に気を取られたり、いつも不機嫌そうな顔をした女子中学生が異性と会話している姿を見かけてその内容を想像したり、しつけの行き届いた犬とバカ犬を一緒に散歩している女性が自宅でどのように過ごしているのか妄想したり、いちいち視点(と思考)がオモシロイ。個人的には、第四話に登場する“テクルさん”の話が非常に面白かった。たまに、「趣味が人間観察だ」とのうのうと言ってのける人がいるが、ここまで掘り下げてこそ人間観察であろう。

鈍感な人間であれば、何も考えずに見過ごしてしまうだろう様々な事物を、自身の興味本位だけで記憶に留め、作品へと昇華する。そんな自然な流れが容易に想像できる肩肘張らない内容に、「やはり神の啓示を受けた人間は違うな」と感心する凡な私なのであった(※いがらし氏は幼い頃に「漫画家になる」と神の啓示を受けたらしい。ホンマかいな)。

『ナンバーガール』(谷川ニコ)

ナンバーガール (1) (電撃コミックスNEXT)ナンバーガール (1) (電撃コミックスNEXT)
(2013/06/27)
谷川 ニコ

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ナンバーガール (2) (電撃コミックスNEXT)ナンバーガール (2) (電撃コミックスNEXT)
(2015/02/26)
谷川ニコ

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『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』で知られる谷川ニコによる、クローン女子高生四コマ漫画。同じ顔・同じ頭脳・同じ嗜好を持った16人の無機質なクローン女子高生たちが、一人前の女子高生になるために、個性を求めて特に奮闘することなく、ただただボンクラな日々を過ごす姿が描かれている。基本的には、常識を知らない彼女たちの欲望(主に食欲)に素直な言動が笑いどころとなっているが、注目すべきは、そんな日々の中で確かに獲得されていく個性だ。例えば、ある回で牛乳を飲めば胸が大きくなるという情報を得たナンバー6は、その後もちゃんと牛乳を飲み続けている。全員で私服を買いに行く回でギャルファッションを身につけたナンバー10は、その後も奇抜な服で周りの人間たちを驚かせる。不慮の事故により髪をショートカットにしたナンバー12は、以後もその髪型のまま生活を送っている。基本的にはギャグ漫画としての体裁を保っているにも関わらず、各回で起きたイベントのうち、残すべきポイントは彼女たちの個性として残っているのである。「無個性なクローンたちが個性を得る」という作品のテーマが、しっかりと反映されていることがよく分かる。

個人的には、主人公のクローン女子高生たちとは別の学校に通っているクローン女子高生たちが出演したときに生じる、ちょっとした摩擦がたまらなく好きだ。主人公たちは欲望に忠実に生きているが、別の高校のクローンたちはまた少し違った個性を見出しており、その内容が時たま、たまらなくウェットなのである。第2巻に収められている夏休みの回で、夏の楽しさに涙してしまう純朴さには、思わずこっちが泣きそうになってしまった。今後、主人公たちと彼女たちが、これから更にどのようにして交流を重ねていくのか、今からとても楽しみだ。そこでもきっと、とても面白い個性を見つけていくことだろう。

鶴瓶と落語の夜の夢。

ある夏の夜のことだ。

部屋のテレビをつけっぱなしにした状態でパソコンに向かっていると、いきなり怒鳴り声が聞こえてきた。何事かと驚きながら、テレビの画面に目を向けると、そこには半裸で有名タレントたちに怒鳴り散らしている笑福亭鶴瓶の姿があった。少しばかり酒をひっかけているらしく、些か呂律が怪しい。数年前、テレビの生放送中に酔っ払った鶴瓶が下半身を露出してしまった事件は、今でも多くの芸人たちによって語り継がれている。思うに、この時の番組は、あの事件の再来を演出しようとしていたのだろう。

だが、その光景を目にして、私はまったく別のことを考えていた。酔っ払った鶴瓶の怒鳴り声に、彼の師匠である笑福亭松鶴の喉を感じたからだ。

六世松鶴極つき十三夜六世松鶴極つき十三夜
(2010/11/03)
笑福亭松鶴(六代目)、笑福亭仁鶴 他

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六代目笑福亭松鶴。三代目桂米朝、三代目桂春團治、五代目桂文枝とともに上方落語の復興に貢献した“上方落語四天王”の一人である。酒好き、女好き、借金まみれという古き良き時代の芸人としての人生を全うし、その人気は未だに衰えていない。「2012年に桂文枝を襲名した桂三枝が【六代 桂文枝】を名乗っているのは、上方では“六代目”といえば六代目松鶴を指すから」というエピソードが、その存在の大きさを物語っている。十八番は『らくだ』。酒に関する噺がとても上手かった。

鶴瓶が初めて六代目松鶴の元を訪れたのは1972年のこと。一人で行くのは恐かったので、友達と一緒に自宅を訪問したという。実は、その一年前には既に弟子入りを決意していて、とある会場の楽屋口までは行けたのだが、そこで大勢の弟子たちが松鶴に「お疲れ様でした」と言っている姿を目にして、物怖じしてしまったのである。家の中に上げてくれた松鶴に「親の承諾が要る」と言われた鶴瓶は、芸人嫌いの父親を無理矢理に騙して同道し(※後で物凄く怒られた)、なんとか弟子入りを許される。

ところが、松鶴は鶴瓶に殆ど落語を稽古しなかった。そういう方針を取っていたわけではない。原因は、ちょっとしたしくじりだった。その当時のことを、鶴瓶本人が落語作家・小佐田定雄氏の編集による『青春の上方落語』で語っている。

青春の上方落語 (NHK出版新書 422)青春の上方落語 (NHK出版新書 422)
(2013/12/06)
笑福亭 鶴瓶、桂 南光 他

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 稽古してもろてるある日の朝、おやっさん(※松鶴)がブラックコーヒー、あーちゃん(※松鶴夫人)がミルクティを飲まはるんで、ぼくがこしらえたんです。ぼくの実の親父はコーヒー好きで、毎日、インスタントやなしに、豆からコーヒーをたてて飲んでました。そのときに、ミルクを流すようにスーッと入れてたんが格好よくてねえ、「ええなあ」と思うてたんです。
 そこで、あーちゃんのミルクティをこしらえるときも、紅茶にミルクをスーッと流すように入れて表面をミルクで覆うようにしたんです。そしたら、あーちゃんが紅茶が入ってないと早トチリしはって「わて、ミルクて言うてないがな!」て、えらい怒らはった。うちのおやっさんもそれにかぶせて、
「だいたいおまえは、人の話聞いてへん。なんや、これ?」
 よっぽど「かきまぜてもろたらミルクティです」と言おかと思うたんですけど、恥かかすように思えたんで、素直に「すんません」とあやまった。おやっさんも虫の居所が悪かったんか、えらい怒らはって、それからぼくの稽古がなくなったんですよ。


あらぬ誤解から師匠に落語を教えてもらえないという憂き目にあった鶴瓶だったが、マスコミにはすぐさま気に入られることになる。兄弟子・手遊(おもちゃ)が小学生の落語家として注目されていた頃、そのお供としてあっちこっちへついていくと、大学中退でもじゃもじゃ頭の男が小学生に「兄さん」と敬語を使っている姿が「面白い」と気に入られ、そこから少しずつ鶴瓶個人へと注目が集まるようになったのである。その一方で、若手の勉強会【つばす会】に参加し、落語家としての活動も続けていた。月に一度あるかないか程度ではあったが、これがあったからこそ、後に落語に戻ってこられたのだと鶴瓶は述懐する。

ところで、松鶴は本当に鶴瓶に何も教えなかったのか。

調べてみると、『師匠噺』(浜美雪)に興味深い証言を発見した(「発見した」といっても、ここで抜粋している言葉は全て鶴瓶本人によるものなのだが)。入門から一年後の1973年のある朝。松鶴は鶴瓶にあることをやらせた。それは、自身の落語会の様子を録音した落語三十五席分のテープ起こしだった。同じ大阪とはいえ、住んでいる場所によってはニュアンスに多少のズレが生じることがある。だが、松鶴と鶴瓶は同じ大阪のド真ん中出身だったため、このテープ起こしを命じられたのだろう、と鶴瓶は考える。

師匠噺師匠噺
(2007/04)
浜 美雪

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 でもいまになって思いますよね、それが、師匠なりの”稽古”だったんだと気づいたんです。
 面と向かっての稽古はつけないが、自分のテープを聴いて、文字に起こしながら学べ、いうことですね。
 そら、何度も何度もテープ聴き返しながら、文字に起こしていくわけですから、染み込んでいきますよ、師匠の口調だとか間だとかが。
 すごい配慮だと思いますよね。


今現在、上方落語協会の副会長として、落語界全体を盛り上げていくことに苦心している鶴瓶。かつて、師匠から落語を教えてもらえなかった落語家は、今や落語界には欠かせない存在となった。浜氏は、そんな鶴瓶こそ、松鶴の芸や夢を一番忠実に引き継いでいると考える。

鶴瓶は語る。

 芸人って死んだら終わりなんですよ。落語家同士は知ってるけど、「松鶴」なんて言っても世間一般の人は知らないですよ。「伝説」になるためにはその人の弟子が、生きている間にその人に近いことをやって、「あんな弟子を育てたんや」ということをいかに示すかが大事なんです。名前を継承することも大事かもしれんけど、その人は死んだら終わりなんですよ。ですから死んだらあかんのです。死ぬまで一生懸命がんばらなあかんのです。


テレビには、頑張っている鶴瓶がまだ映っていた。出演者全員が笑っていた。

『猿王』(仲能健児)

猿王猿王
(2005/03)
仲能 健児

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猿。猿だ。その姿は確かに猿のそれだった。だが、おかしい。あの顔。尖った耳。大きくて丸い瞳。顔面の半分以上に切れ上がった口。あらゆるものを食べ尽す歯。人の頭すらも。猿か。猿なのか。猿の姿をした別の何かなのか。インドを旅する日本人の夢の中に、その猿が現れた。猿は言った。「おまえはオレから逃げられない」。続けて言った。「オレは神になる者だ」。

『月刊コミックビーム』誌上に、時たま奇妙な漫画が掲載される。舞台はインドか、そこに近いアジアの何処かだ。物語の主人公は旅行者で、彼は悠久の地で様々な神秘的体験を得る。とはいえ、それはあくまでも旅行中の出来事に過ぎず、彼の旅が終わることはない。初見時には「また妙な漫画家が現れたものだ」と思った。作者の名前は仲能健児。聞いたことのない名前だった。幾つかの短編を読んでいるうちに、私は彼の作品世界に興味を持つようになっていった。試しに、その名前についてネットで調べてみると、彼名義の作品が二冊ほど出版されていることを知った。一つは単行本で、もう一つは文庫本だった。文庫本には中古しかなかったようだったので、私は単行本を購入した。1,300円(税抜)という価格は決して安くはなかったが、それを手に取った時、私は確信した。名作である、と。

仲能健児『猿王』は、インドに滞在している日本人旅行者が、夢の中で遭遇した“猿”の姿をした奇妙な存在に追い回される姿を描いた作品だ。逃げる旅行者と、追う猿。その道中には、彼の事情を知らないインド人たちとの衝突や、猿の存在を認知しているサドゥー(ヒンズー教の行者)たちとの会話なども描かれているが、基本的に話は一本道である。逃げる旅行者と、追う猿。それだけだ。彼に助言するサドゥーたちは次々に頭をかじられ、猿の手下である虎や鮫に噛み殺される。それを背にして、ひたすら逃げる。逃げる。逃げる。しかし、猿が旅行者の男を必要としていると知っている一部のサドゥーたちによって、今度は彼の命が狙われる。すると、今度は猿が彼を助けようとする。敵なのか、味方なのか。正も誤も定かではない逃走劇に、果たしてどんな結末が待っているのか。

『猿王』は1994年に週刊モーニング誌上で連載されていた。猿に追われるという珍奇なストーリーも然ることながら、リアルに描かれたインドの風景が、実に味わい深い。そのリアリティが、この異常な物語をより一層引き立てる。まるで、眼球を通じて、脳がインドの風に包まれているかのようだ。巻末には呉智英による解説を掲載。本作が発表された時代と背景について書かれており、より一層、この作品の深みを感じられるように思う。

松本人志の隠し“芸”

「松本」の「遺書」 (朝日文庫)「松本」の「遺書」 (朝日文庫)
(1997/07)
松本 人志

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かつての松本人志がどれほどの影響力を持っていたのかを理解する上で、彼の著書である『遺書』は欠かすことの出来ない最大の参考資料といえるだろう。放送作家の藤本義一を名指しで批判し、観客の質が悪いから『笑っていいとも!』を降りたと告白し、ダウンタウンを否定した横山やすしを「殴っといたらよかった」と言い切ってしまう危なっかしさは、出版から10年以上が経過した今読んでいても冷汗モノだ。

そんな『遺書』の中でも、特に強い印象を残すのが、松本自身の芸について書かれたコラムである。当時、「ある人物が「ダウンタウンには芸がない!」と言っていた」と書かれたハガキを受け取ったという松本。一読し「ムッ」ときたが、思い直し、確かにそうかもしれないと気持ちを落ち着けたのだという。その理由について、松本は彼自身も大好きだという喜劇役者・藤山寛美を例に挙げて、次の様に書いていた。

 オレは確かに、この人に比べたら芸はない。開き直ってるわけではない。オレたちにとって笑いとは発想なのである。おもしろい人を演じることでは負けていたとしても、おもしろい人では絶対負けない。芸で人を笑わすより、自分自身で人を笑わしたいのだ。
 芸があるということは、スゴク有利なことだと思う。発想だけで人を笑わすのは非常に怖いことだ。“何度見ても笑える”とはなりにくいし、四十、五十までその発想を持続できるとは限らない。したがって、どうか古い人たちよ、芸がないことをまるで卑怯のように言うのはやめていただきたい。芸がないぶん、ほかで補っているのだから。


この文章に影響を受けた芸人も少なくないだろう。

ところが、そんな松本人志……もとい、ダウンタウンについて、ある人物が芸を見出している。その人物とは、落語界の異端児・立川談志である。

談志百選談志百選
(2000/03/06)
立川 談志、山藤 章二 他

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立川談志といえば、かつてはビートたけしや太田光を称賛し、晩年にもテツandトモやおぎやはぎなどを評価していた、いわゆる関東芸人派としてのイメージが強い。事実、当初は「関心がなかった」「小汚え、小生意気な、やり方が、「東京という大田舎に集っている低能の若者に受けているのだろうから」と見向きもしなかった」と告白している。しかし、「見損なっていた」と考えを改め、以下の様に評している。

 で、松本人志相棒に何かいう。その“何か”とは、非常に抽象的な文句であり、その言葉はアドリブなのだろうが、問題提起になり得る文句でもある。
 それをいきなりぶっつけられた浜田は正常人と同じレベルで疑問を返す。「ワからねえよ……」
 この会話のキャッチボールに使う「間」、ふと天外(渋谷)と寛美(藤山)の間を思ったっけ。
 この“待ちの間”。現代、これが出来る奴にぶつかるとは思わなかった。見事なまでの漫才の間なのだ。いつごろからこの二人に、この間が出来上がったのかしら……。


なんと、かつて松本が自著で突き放した藤山寛美の芸が、ダウンタウンの漫才には見られると指摘しているのである。私自身は藤山寛美の笑いについて、また渋谷天外とのコンビ芸について、正確に認識してはいないが、落語以外の芸にも精通していた談志がいうのであれば、きっとそうだったのだろう。いや、まあ、『遺書』発表後の原稿なので、ことによると合わせたのかもしれないが……。

一方、ダウンタウンの漫才に、藤山寛美以外の芸人を想起させたという人物もいる。その人の名は西条昇。日本の芸能史に精通し、江戸川大学で教鞭をとる、モノホンの「お笑い評論家」である。

ニッポンの爆笑王100―エノケンから爆笑問題までニッポンを笑いころがした面々ニッポンの爆笑王100―エノケンから爆笑問題までニッポンを笑いころがした面々
(2003/09)
西条 昇

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西条氏は指摘する。

 そうした彼らの仕事を眺めているうちに、コンビのバランスや各々の資質がダウンタウンにとって吉本興業の大先輩に当たるエンタツ・アチャコと酷似していることに気がついた。


エンタツ・アチャコとは、横山エンタツ・花菱アチャコのことである。横山エンタツ・花菱アチャコは1930年から34年にかけて活動していた漫才師だ。ただの漫才師ではない。芸能史上、初めて“しゃべくり漫才”を演じた漫才師である。背広姿の二人組が何の小道具も持たずにしゃべりだけで場を持たせる……いわゆる漫才の仕組みは、彼らによって生み出された。そんな漫才史上最大の重要コンビとダウンタウンには、どんな共通点が見られたのか。

 二組の類似点を一言で言うならば、ボケ役の松本とエンタツは<深さの人>であり、ツッコミ役の浜田とアチャコは<広さの人>であるということになるだろう。
 ともに天才型の芸人と言える松本とエンタツの作り出す笑いは、鋭角的で深い。その笑いを浜田とアチャコが大衆に分からせ、広める役割を担う。<深さの人>と<広さの人>が揃っていれば、漫才コンビとして、これほど強いことはない。


芸を捨て、発想だけで勝負していると公言していた松本人志。しかし、意図してか意図せずしてか、その背景には、確かに日本演芸の血脈が繋がっていたのである。

『ひきだしにテラリウム』(九井諒子)

ひきだしにテラリウムひきだしにテラリウム
(2013/03/16)
九井諒子

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イースト・プレスが運営するWebメディア「マトグロッソ」で連載されていたショートショートを一冊にまとめた超短編作品集。マトグロッソといえば、てれびのスキマ『タモリ学』高野文子『ドミトリーともきんす』など、洗練された傑作を世に送り出しているイメージが強い。かつての私は、こういうところで作品を発表できる人間になりたいと思っていたものだが、今の私はすっかり面倒臭がりのひねくれチキン野郎である。何処で道を誤ったんだか。

さて本書。傑作とはいえない。いや、いわせない。いわゆる傑作といわれている作品は、多かれ少なかれ読者にショックを与える。読後、感情を平静に戻すことが出来ず、しばし呆然としてしまう。それが傑作というものだ。しかし、本書はそういった類の衝撃をもたらさない。ごく自然に、そのショートショートの魅惑的な世界へと引き込み、心身に染み込んでいく。だからこそ、後になって気付かされる。その凄味に。

ごく一般的に、長編よりも短編に作者のセンスが多分に反映されていることが多い。今後の展開を踏まえて整合性を保たなくてはならない連載作品とは違い、一球勝負の短編には後先を考える必要が無いからだ。むしろ、その一球で後悔しないようにするために、そこに渾身の力が込められている……というべきなのかもしれない。だが、本書には、作者のセンスといえるものが見受けられない。無論、皆無というわけではないが、そういった側面をなるべく出さないようにしている。なにせ、作風はおろか、画風まで変化している。実をいうと、私は九井諒子の他の作品を読んだことがないので、どれが本当の彼女の画風なんだかさっぱり分からない。それほどに、どの画風も出来上がっている。だから、その凄味に気付かない。おっとろしか話ばい。

どのショートショートも面白いが、とりわけ印象に残っているのは『龍の逆鱗』『記号を食べる』『かわいくなりたい』『夢のある話』などの、現実ではありえないことを徹底的にリアルに描いた作品。かつて、私が愛して止まないコント師の一組であるラーメンズが、自身のコントの中でこんなことを言っていた。「日常の中の非日常ではなく、非日常の中の日常を描く。一見すると異常な世界観だけど、その世界の住人達にとってはいつもの出来事って感じがするのす。それが心地いいのすのすー」(『アトムより』より)。ラーメンズ自身の作風について自己言及しているとも受け取れる台詞回しだが、まさにこれと同じモノを先述のショートショートたちに感じたように思う。

傑作ではない。名作と呼ぶに相応しい。

『ひみつのひでお日記』(吾妻ひでお)

ひみつのひでお日記 (単行本コミックス)ひみつのひでお日記 (単行本コミックス)
(2014/09/30)
吾妻 ひでお

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吾妻ひでおの日記マンガといえば『失踪日記』などの代表されるレポート作品が知られているけれど、個人的には本作の様な絵日記形式で淡々と日常の出来事を描いている作品の方が好きだったりする。じゃあ、どうしてそういう作品の方が好きなのかというと、そこには個人の視点しかないからだ。レポート形式のマンガは読者という第三者に伝えることを目的としているため、どうしてもそこに客観的な視点が必要となるんだけれど、日記マンガにはその趣が薄い。ゼロではないけれど。まあ、そういうところが面白くて、ついつい買ってしまうのだ。が、帯に“これが最後の単行本…かも!?”という悲しいお知らせが。なんとも寂しい話じゃないか。感想……は、特になし。理由は先に書いた。他人の日々の綴りの感想を書くほどわたしゃ偉くない(過去作品の感想は書いてるけど!) ああっ、でも「呉智英がダンディ過ぎるぞ」「光代社長が美人過ぎるぞ!(実際美人だけど)」「何の脈絡もなくハライチが!」「ビーグル38懐かしいなオイ」「2014年の日記は画風が『カオスノート』に引っ張られてる!」などのことを思った。以上。
プロフィール

菅家しのぶ

Author:菅家しのぶ
お笑いDVDコレクター。2014年5月からコンテンツリーグ発行のフリーペーパー『SHOW COM(ショーコン)』で名盤DVDレビュー「神宮前四丁目視聴覚室」を連載中。

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