テツandトモの燃焼
![]() | 爆笑オンエアバトル テツandトモ (2003/04/23) テツandトモ 商品詳細を見る |
僕がテツandトモの二人を初めてテレビで観たのは、ボキャ天のスペシャル番組でのことだった。事前に、集められたたくさんの若手芸人たちの中から、一組だけスペシャル番組に出演できるというオーディション的な企画があって、彼らはその企画の勝者として出演していたのだ。結果、それほど良い記録を残すことは出来なかったけれど、それでも、彼らの赤と青のジャージが織り成す強烈な衝撃は、僕の脳みそに深く刻まれた。
それからはもう、テツandトモをテレビで探す毎日だ。『笑点』に出ていると知れば、テキトーなビデオに録画して、しっかりと記録した。もちろん、後で何度も鑑賞するためだ。実際、何度も見た。今となっては、どうしてそんなに見ていたのかは分からないが、とにかく僕が彼らになにかしらかのシンパシーを抱いていたことは、間違いないだろう。テツの動きをマネすることはなかったけれど。
そういえば、僕が『爆笑オンエアバトル』を見るようになったきっかけを作ったのも、彼らだった。一応、以前からその番組の存在は知っていて、実際に何度か見ていたんだけれど、本格的に見ようと思い始めたきっかけをくれたのは、間違いなく彼らだった。その意味で、僕は彼らに足を向けて寝ることが出来ない。
それから少しして、テツandトモは『めちゃイケ』の企画「笑わず嫌い王決定戦」に出演。同時期に『こち亀』のエンディングテーマを歌っていたことも手伝って、一気に大ブレイクを果たした。それは正直、とても嬉しいことだった。強烈なインパクトを持った若手芸人は、往々にして一発屋になることを恐れるものだけれど、彼らの場合、そもそもテレビを主軸に活動するタイプの芸人ではなかったので、当時の僕は彼らが一発屋となることを危惧することなく、ただ純粋に、彼らのネタをテレビで見られるということだけを楽しんでいた。何故かM-1グランプリの決勝戦にも進出しちゃったりしたけど、その場違いな感じですら楽しかった(談志師匠には窘められていたけど)。
そんな時間が通り過ぎ、やがてテツandトモはテレビから姿を消した。一発屋になるだろうと言われていた彼らは、やはり一発屋としてテレビから消えていったのである。でも、そこに悲壮感は無かった。先にも書いたように、彼らのメインステージはあくまでもテレビではなく、舞台だったから。その後もテレビにちょこちょこ出演しているのを見かけたけれど、やっぱり彼らには微塵も悲壮感が漂っていなかった。
現在、テツandトモは営業を中心に活動している。先日に放送された『やりすぎコージー』によると、かなり荒稼ぎしているらしく、以前はただ純粋な若者として写った二人の表情に、なにやら大物然としたオーラが漂うようになってきた。同番組では彼らの営業の様子も放送されていたが、相変わらず真剣に舞台と向き合っているようだ。汗をだらだら流しながら、「なんでだろう」を熱演し、何故かフツーに名曲を熱唱したりもしていた。自由な二人である。
真っ赤に燃え盛る炎と真っ青に燃え滾る炎は、今日もどこかの舞台で身を焦がし、観客を沸かせていることだろう。それがやっぱり、僕には嬉しい。テツが動けなくなる日まで、トモが歌えなくなる日まで、二人三脚で全力疾走だ!
ギミック・ロジック・アンジャッシュ
![]() | 爆笑オンエアバトル アンジャッシュ (2001/06/20) アンジャッシュ 商品詳細を見る |
ある程度、お笑いの世界に首を突っ込むようになったら、自ずと自分好みの芸人が見つかるものだ。僕の場合、それは「ラーメンズ」であり、「シティボーイズ」であり、「イッセー尾形」だった。この三組に対して、僕はどうしても冷静ではいられない。他の芸人よりも少なからず、甘めに評価したり、辛めに評価したりしてしまう。これが人間というものなんだよね、なんて苦笑してみたり。
僕にとってのアンジャッシュは、そういう「自分好みの芸人」という枠には確実に入ってこない芸人、というイメージがあった。誰にも、特別に好きになられるタイプの芸人じゃないと思っていた。それは別に、アンジャッシュが面白くないから、そういう扱いを受けてしまうだろうという考えによるものではない。むしろ逆で、アンジャッシュというコンビは、そういった「自分好みの芸人」という枠から抜け出している、「誰もが好きな芸人」だと思っていた。それほどに、アンジャッシュの笑いは万人に向いていた。
アンジャッシュのコントにおける笑いの基軸は“ズレ”だ。ある一つの状況において、二人の人間が間違った認識の元に間違ったコミュニケーションを図ることで、面白味が生まれる。例えば、児島が渡部の母親と結婚するということを渡部自身になかなか打ち明けられずにいるというコントがあるが、このコントにおける笑いの基軸は「児島の結婚相手が自分の母親だと知らずに、児島にエールを送る渡部」という存在自体であり、そんな渡部の言動だ。その様子を観客は第三者的視点、いわば“神の視点”で楽しむのである。当事者の二人には、何がおかしいのかは分からない。二人はそのズレによる違和感を覚え続けるだけだ。
この“ズレ”を使ったスタイルの笑いは、以前から存在していたと思われる。事実、軽演劇の世界では、このスタイルが多く用いられている。三谷幸喜とか。しかし、コントの世界において、このスタイルは完全にアンジャッシュの専売特許となってしまった。アンジャッシュとともにオンエアバトルで活躍したダイノジが、自身の単独ライブで披露した“ズレ”を使ったコントのタイトルを「アンジャッシュ」にしたという話が、その浸透ぶりを感じさせる。
2003年。アンジャッシュは、爆笑オンエアバトルの五代目チャンピオンになった。かなり低いキロバトルでのチャンピオンだったため、一部では批判の声もあったが、それはまさに番組開始から挑戦し続けてきたアンジャッシュに対する功労賞だったと言える。そして、この功労賞が彼らの日常を一変させた。
当時、人気があったテツandトモを抑えてチャンピオンになったということで『エンタの神様』に出演し、一気に注目を浴びるようになったのだ。彼らは同番組の常連となり、爆笑オンエアバトルで貯蓄してきた“ズレ”コントを披露し続けた。彼らはそうして、お笑いブームの前時代を築いた芸人として、名を残したのである。
現在のアンジャッシュは、数本のレギュラー番組を持つ売れっ子芸人となった。全国放送の番組は少ないが、ローカルで冠番組を幾つか持っているようだ。芸の世界を制覇した地味地味コンビは、バラエティの世界でも上手く乗りこなしているようだ。……もしかしたら、また功労賞を狙っているのかもしれない。
テレビの外のラーメンズ
![]() | 爆笑オンエアバトル ラーメンズベスト (2001/05/16) ラーメンズ 商品詳細を見る |
ネタ見せ、テレビ出演、レギュラー獲得。これが、若手芸人が“芸人”として存在するために踏まなくてはならない、いわば過程だ。これはお笑いブームの最中でも同様だった。『エンタの神様』『笑いの金メダル』『笑わず嫌い王決定戦(『めちゃイケ!』内コーナー)』などのバラエティ番組でネタを披露し、一般の認知度をそれなりに上げて、テレビ芸人としての活躍の場を広げる。その流れは、今も昔も大して変わらない。
ただ、その流れに一石を投じた芸人が、二十世紀末に現れた。ラーメンズである。
かつてラーメンズも、過程の中にいた。『爆笑オンエアバトル』の常連として活躍し、若手芸人が映像コントを披露する『完売劇場』ではリーダー的存在として君臨。『Quick Japan』に対談・挑戦連載を持ち、書籍や単独ビデオも何本か発表した。知的でリーダーシップもある小林賢太郎と、強烈なキャラクターを持った片桐仁のコンビ・ラーメンズは、若手芸人ブームの中においても、その先頭に立つことの出来るコンビだった。
ところがある日、ラーメンズはテレビから去ってしまった。少なくとも、コンビでテレビ番組に出演するということをやらなくなってしまった。後に小林は某雑誌の対談で、当時を振り返り「片桐がバラエティ出演を拒んだ」と発言しているが、事情を知らない観客にとって、それは初めて若手芸人がテレビに対して背を向けた瞬間だった。
勿論、彼ら以前にもテレビに背を向けた芸人たちは、数多く存在していた。ただ、ラーメンズはそのネタの独自性と、単独公演における“唯一無二”な雰囲気が、その孤高さを際立たせていたため、他の芸人よりも余計に「テレビとの決別」というイメージを強めていたのではないか……と今となっては思う。
ラーメンズのコントは、とにかく独特だった。文豪の小説同士を対決させる『読書対決』、外国人に模した二人が奇妙な日本語を勉強する人気シリーズ『日本語学校』、長縄とわらべ唄で独自の世界を形成した『なわとび』……これらの無駄を一切省いたコントは、それまでの王道だったワン・シチュエーション・コントとは明らかに違ったものだった。
彼らが「テレビとの決別」を果たして以後、若手芸人の動向にも変化が見られるようになった。テレビ出演を意識した芸人が減り、ライブ活動に戻っていく芸人が出始めたのである。彼らはテレビでネタを披露し、ある程度の認知を得て、再びライブ活動へと戻っていった。かつて、ラーメンズがそうしてきたように。
現在、ラーメンズは以前ほどに強い独自性のコントを演じていない。むしろ、そういった類いのネタは減少し、やや芝居がかったコントを多く演じるようになった。それでも、いわゆる「ラーメンズの世界」は崩れることなく、現在も継続している。ただ、その世界像は、今のテレビよりもずっと大衆向けなものになっている。これはある意味、皮肉と言うべきなのだろうか?
ますだおかだ、その愛
![]() | 爆笑オンエアバトル公式ビデオ ますだおかだベスト (2001/04/18) ますだおかだ 商品詳細を見る |
幼少の頃から吉本新喜劇に慣れ親しんでいたためか、どうも僕は一時期、大阪吉本的なコテコテ感に対し、ある種の拒否反応を示してしまう傾向にあった。子供の頃に好きだったものを、食べ過ぎて嫌いになってしまう状態に似ていると思う。僕は、吉本興業の芸人特有のギャグと間の面白みの全てを、ベタを得意とする玄人たちによって構成された吉本新喜劇によって、無意識のうちに学習してしまっていたのだ。
しかも、これは吉本興業に限った話ではなかった。僕は吉本の芸人だけではなく、関西の芸人全てに対して、ある種の偏見を持ってしまったのだ(当時はよゐこや千原兄弟の存在を知らなかった)。そんな僕の固定観念を打ち砕いてくれたのが、ますだおかだの漫才だった。
彼らの漫才を初めて観たのは、M-1グランプリ2001だったと思うが、彼らのことをはっきりと認識したのは、2002年9月に放送された爆笑オンエアバトルだった(4月にオンエアされた時も観ていたが、それほど印象には残っていなかった)。「ハイビジョンでオンエアバトルをやれば、視聴者が投票して、ボールの数が凄いことになる」というギャグが、妙に印象に残っている。
増田の繰り出す軽快なボケと、岡田のあっけらかんとしたツッコミは、当時の僕にはとても新鮮だった。吉本芸人特有の作りこんだ感じのない、肩の力の抜けた、ひたすらに楽しそうな漫才。その漫才は、とても“解放的”だった。
ますだおかだの漫才は、まず、増田が“時事”についての話題を観客に提供する場面から始まる。“時事”といっても、最近の流行や世の中の表面的な流れ等の、それほど社会的な話題は持ってこない。あまりニュース番組を見ていない人でも、噛み砕くことなく理解できるような、そんなメジャーな話題だ。そこに岡田が乗っかる形で、二人の漫才は動き始める。
しばらく漫才が進行したところで、増田が話題にシフトチェンジを加える。最初の話題に関連した話を出すこともあれば、別の話題を出すこともあるが、とにかく、そこから増田の独壇場が始まる。次々とテンポ良く繰り出される増田のボケと、それに応じる岡田のツッコミにより、ネタが終わるまで観客は笑いを止めることはない。
ここで増田のボケについて触れておこう。増田のボケは、実はそれほどセンスのあるものではない。時事ネタに関連した、大喜利的な軽めのボケや茶々が多く、一つ一つを取り上げれば、それほど笑えるものではなかったりする。観客が想定できるボケ、とでも言うのだろうか。
しかし、増田はそれら一つ一つのボケを矢継ぎ早に繰り出し、客に考える隙を与えず、テンポと空気で一気に引き込む。例えるなら、わんこそばに似ている。客が味わう前に、どんどん食べさせていくわけだ。しかも増田は、これら単発ボケの構成がバツグンに上手い。後に繰り出されるボケが、先のボケを更に派生させたものになっているため、だんだんと面白さが加速する。つまり、増田はあえて軽めのボケを詰め込むことで、笑いの量を増やしているのである(事実、本筋に入る前の増田のボケは実にシニカルだ)。
その流れを確実にしているのが、必ず漫才に一度は組み込まれる岡田のスベリだ。増田が矢継ぎ早にボケている中で、じっくりと岡田をスベらせる間を取ることにより、客に「増田=面白い」「岡田=サムい」という公式を植え付け、増田のボケを優位に立たせることにより、漫才をより精密なものとして演出しているのだ。それを強調するためか、かつて増田は岡田のサムさを引き立てるために、岡田のボケをメモに書き残して「こんなん言いおったで!」と町中に広めるギャグをやっていた。後にテンポを重視するようになったのか、「いらんこと言うな」と軽めに触れていくようになるが。
ちなみに岡田は、増田の加速するボケを、ツッコミを破滅的にすることにより、その加速を手伝っている。実は、ますだおかだの漫才の核となっているのは、増田ではなく岡田なのである。
そう考えると、かつての僕にますだおかだの漫才が“解放的”に見えた理由も分かる気がしてきた。ますだおかだは、増田と岡田が共に互いを心底信頼しているのだ。だから増田は自在にボケることが出来るし、岡田は安心してスベることが出来る(岡田は単に天然でスベっているだけなのかもしれないが)。
最近は岡田のタレントとしての評価が上がっているためか、漫才も岡田をボケにしたり、岡田をイジリ倒したりすることも多い彼ら。これからも多少のシフトチェンジはあるかもしれないが、彼らの解放的な漫才が無くなることは、決して無い。たぶん。













