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三遊亭圓丈に見るクリエイター論

三遊亭圓丈という落語家がいる。

圓丈は新作落語家である。新作落語というのは、一般的に知られている『寿限無』『饅頭こわい』『芝浜』など、古い時代から伝えられている古典落語とは違い、落語家自身で作り上げた落語のことをいう。かなりの名作であれば、この新作落語が後世まで伝えられていき、古典落語に転ずることもあるらしい。先に名前を挙げた『芝浜』も、初代・三遊亭圓朝の創作であるといわれている。

圓丈以前にも、新作落語を作る落語家は数多く存在していたが、その中でも圓丈の存在感は大きい。何故ならば、圓丈は古典落語も既存の新作落語も完全に否定して、自らの感性に正直な落語を作ることに専念していたからだ。それ故に、間もなく落語家になって五十年を迎えようとしているにも関わらず、思いっきりスベッてしまうこともしばしば。しかし、そのスタンスは後輩の落語家に多大な影響を与えており、弟子の三遊亭白鳥を始め、春風亭昇太、柳家喬太郎、林家彦いちなどは“圓丈チルドレン”と呼ばれている。

そんな風に、自らの感性で落語を創作し続けてきた圓丈だが、彼が弟子入りしたのは六代目・三遊亭圓生だ。六代目圓生といえば、バリバリの古典派。昭和最後の大名人と言われており、辛口で知られている当代の立川談志ですら、圓生の落語を「一つ一つが群を抜いている。極端にいえば“非の打ちどころがない”ということだ。見事である」と評している。片や新作落語の革命児、片や古典落語の大名人。この二人が如何にして繋がっていったのか。

NHK出版生活人新書から出版されている『ザ・前座修業―5人の落語家が語る』では、圓丈師匠を含めた五人の落語家たちが前座時代を振り返っている。ちなみに、圓丈以外では、柳家小三治、林家正蔵、春風亭昇太、立川志らくが前座時代を語っている。それぞれ、師匠に対する並々ならぬ思いを込めて当時を語っているが、圓丈だけは少しだけ違った趣を見せている。

通常、落語家を目指す若者たちは、自らが惚れ込んだ師匠に弟子入りする。自らの人生を委ねても構わないと思えるような師匠を選んで、弟子入りを志願し、どうにかして弟子にしてもらう。しかし、圓丈はそれを否定する。

弟子って師匠に惚れると、だいたい欠点を真似ちゃうところがある。また欠点ほど真似しやすい。私が当時のほかの前座となにが違うかといったら、「惚れる」という点だったと思う。だいたい自分の師匠の芸や師匠そのものに憧れたり、惚れたりして入門してくるのがほとんどだと思う。私は圓生を尊敬はしていたけど、芸や人に惚れたわけではなかった」


そんな考えだったからなのか、前座時代の圓丈は非常に異色の存在だったらしい。師匠に何処かへ誘われたとしても、決してついていこうとはしない。仕事や師弟関係は絶対、だけどプライベートにおいては自由に過ごさせてもらう。師匠に押し付けられたくない。師匠は師匠、オレはオレ。それが圓丈の考え方である。

だが、それは単なる我儘ではなく、確固たる考えがあっての行動だった。

「噺家に弟子入りするときに、その師匠の芸に惚れるということは良くないことだと思ってる。なぜなら、惚れてしまうとその師匠を越えられないからだ。私と圓生はまったく異なる人間で、越えられないところもあったけど、私が越えたところもあったと思っている。同じ人間なのだから、この人には絶対に勝てないなどとは、私は考えない。どんなすごい人間でも、どこかに対抗できるところはある筈だ。あの人には絶対適わないと思った時点で負けているし、勝負から逃げていると思う


では、どうして圓丈は圓生に弟子入りを志願したのか。

「それは、新作をやるためには、しっかりした芸の基本を古典で身につける必要を感じたからです」


なかなか戦略的な弟子である。

新作落語を作り続ける圓丈は、今現在も自らのやりたいことをやり続けていくことに、徹底的にこだわっている。かつての兄弟子である川柳川柳(元・三遊亭さん生。後に破門となる)の弟子である川柳つくしの著書『女落語家の「二つ目」修業』において、圓丈は自らの落語家としてのスタンスを次の様に語る。

「芸人は、「プロ仕様」になりすぎるのも、よくないんだよ。素人みたいな「好きだからやってます」みたいな部分がないと。別に笑ってもらえなくてもいいの。芸人自身のこだわりどころは、客にとってはどうでもよかったりすることも多いから。ただ一生懸命に演ることが、全体のレベルアップに繋がって、端々の部分で客の共感を呼ぶ。だからいちばんいいのは、自分が気持ちよく演れることだね」


昨今、インターネット上では、ありとあらゆる方面で“プロはプロとしてあるべき”という考え方が、些か押しつけがましく語られている印象がある。無論、それは基本的には正しい。プロフェッショナルはプロフェッショナルであるべきだ。だが、そればっかりになってしまうと、没個性になってしまう。プロではないプロを安易に否定するのではなく、プロではないプロならではの面白さを許容する余裕が、我々には少し足りない気もする。

日本人は「技」とか「道」が好きなの。たとえ面白いギャグを考えても貶める。実体のないものは認めない……みたいな。でも僕は実体のないものが好きだから。もしそういう「技」やら「道」があってヨイショもできれば、お金持ちになれたんだけどね」


ここに、昨今のそういった状況に関する、根本的な何かが埋まっているような気がするのだが。

ところで、最近はこういうパターンが多い気もする。

つくし「昔、師匠は、「噺家としてやっていくためには、三つの条件のうちの一つが必要」っておっしゃってましたよね?」
圓丈「「世渡り」と「芸」と「感性」の三つね。今は「世渡り」だけでかなりいけるんじゃない?「お友達文化」が強いから


最後に余談。

「そういえば僕、ちょっと前に『爆笑オンエアバトル』に出たいと思って、NHKの人と話をしたんだよ。【略】だけど「この番組は新人が世に出るためのものなんで、キャリアのある人はダメです」って断られたんだよね(笑)」


なんというバイタリティ!
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プロフィール

菅家しのぶ

Author:菅家しのぶ
お笑いDVDコレクター。2014年5月からコンテンツリーグ発行のフリーペーパー『SHOW COM(ショーコン)』で名盤DVDレビュー「神宮前四丁目視聴覚室」を連載中。

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