『赤塚不二夫名作選 レッツラゴン』
![]() | レッツラ*ゴン (小学館文庫―赤塚不二夫名作選) (2005/05) 赤塚 不二夫 商品詳細を見る |
有名な作家が亡くなったとき、人はその作家が残してきた作品に球に目を向けるようになる。事実、赤塚不二夫が亡くなったことが世間に知れ渡ったとき、Amazonでは赤塚作品が大いに売れた。それは偽善的と言うよりも、むしろ野次馬的だ。「人の死を憂う自分を見せたい」のではなく、「人の死に参加したい」のだ。香典に近いのかもしれない。
僕も同様の理由で、ある赤塚作品の文庫本を購入した。そもそも、幼い頃に初期の『おそ松くん』を嗜み、最近NHKで放送されていた特番「赤塚不二夫なのだ!」をキッカケに『天才バカボン』を笑った僕は、次にこれを読まなくてはならないな、という衝動に駆られていた。ただ、それを購入するキッカケが無かった。赤塚風味の強い『天才バカボン』を読んだことで、自分の中で満足してしまっていたのかもしれない。赤塚氏の死は、そんな僕にキッカケを与えてくれた。今だ。今こそ、この作品を読むべきだ。この、赤塚不二夫自身が「一番好きな漫画」と公言している『レッツラゴン』を、今こそ読むべきなのだ。
赤塚曰く「『おそ松くん』のユーモアが『天才バカボン』でナンセンスに近づき、『レッツラゴン』でシュールに発展した」のだそうだ。確かに『レッツラゴン』の過激さと自由さは、ホームコメディを地盤にした『おそ松くん』や、一人の狂人が世界を掻き乱す『天才バカボン』とは、明らかに一線を画しているように思えた。
『レッツラゴン』が『おそ松くん』や『天才バカボン』と圧倒的に違う点。それは、ギャグのスピード感だ。『おそ松くん』は、ストーリーの流れの中でギャグを繰り出している。つまり、あくまでメインとなるのは話の展開であり、ギャグはその過程から飛び出すものだ。その為、ギャグのスピードは比較的緩やかになっている。『天才バカボン』は、その話のテーマ自体がギャグになっている。だから、『おそ松くん』よりもギャグの数が多く、結果的にスピードも速くなる。『おそ松くん』が軽演劇的というならば、『天才バカボン』はコント的と言えるのかもしれない。そして、『レッツラゴン』はこの『天才バカボン』よりもギャグのスピード感が勝っている。
『レッツラゴン』には、もはや筋書きが存在しない。いや、あることにはあるのだが、そこには起承転結が存在しない。ギャグを中心にストーリーが展開しているため、その場その場のノリで話が展開している(様に見える)。だから、ギャグがとにかく速い。速いというか、常にギャグだ。
例えば、レッツラゴン親子の家に魔法使いのオッサンがやってくる話がある。魔法使いはレッツラゴン親子と熊のベラマッチャ、豆腐屋のゲンに一度だけ魔法が使えるようにしてあげる。豆腐屋のゲンは、バナナが食べたいという理由で自分がバナナになり、レッツラゴン親子とベラマッチャに食われてしまう。レッツラゴン親子は、何の理由も無く親子同士が入れ替わる(注:ストーリーに何の支障も無い)。最後に残されたベラマッチャは、「まんががおもしろくなるから」という理由で、尻尾を伸ばしてみた。すると、その伸ばした尻尾は外へと飛び出す。そして、それを見つけた歩行者がなんとなしに尻尾に火をつける。火はだんだんとベラマッチャに近づき、最終的に地球が爆発する。
『レッツラゴン』の読書中、ふと『ちびくろサンボ』のことを思い出した。あの、木の周りをトラがぐるぐると回って、最後にバターになってしまうアレだ。あの自由さと狂気さが、『レッツラゴン』の世界には生きているように、僕には思えてならないのでベラマッチャ。








