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談志の「型」について一考

2011年11月21日、夜。私はTwitterの画面を見つめながら、静かに憤っていた。

事の発端は、私がフォローさせていただいている方がリツイート(※他者のつぶやきを自分をフォローしてくれている方々に見せる行為)したつぶやきだった。それが何処の誰によるつぶやきなのかはここでは書かないが、簡単に説明すると、その方はとある会社の就職面接官を担当した経験をお持ちとのことだった。そして当時、質問に対して型通りの受け答えしか出来ない就職生たちは次々に落としていった、スラスラと型通りの言葉しか口にしなかった就職生たちは学生らしくなくて気持ちが悪かった、とつぶやかれていていたのである。

この感覚が、どうも私には理解できなかった。就職生たちに対するイジメではないか、とまでは思わなかったものの、型通りの答えしかできなかった彼らを「気持ちが悪かった」と突き放してしまえる冷酷さには違和感を覚えた。型通りの答えとは、即ち、世間において正解とされている答えということではないか。これから社会に出ていこうという若者たちが、その社会の入り口ともいえる就職面接において、社会にとって聞こえがいい言葉を並べるのは当然のことではないか。むしろ、社会の先輩である面接官がすべきことは、そんな彼らを冷たく突き放すことではなく、彼らが真に社会に出てきた時に何をしたいと思っているかを引き出す質問ではないのか。……と、そのように、若さゆえの生意気な私の思考回路が頭の中で火花を散らしていた。

そして、ふっとある言葉を思い出した。僕はその言葉をTL上に流出した。そうすることで、漠然と溜飲を下げようと思ったのである。それが、この言葉だった。(※実際には、Twitterの文字数の限界を考慮して、一部を省略した内容の言葉を流したのだが、ここでは全文を抜粋する)

立川談志「型ができてない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか? 難しすぎるか。結論を云えば型をつくるには稽古しかないんだ」



この言葉は、2008年に立川談春が上梓したエッセイ『赤めだか』に記載されているものだ。彼がまだ前座(※落語家のスタート地点。いわゆる「落語家未満」の状態)だった頃、師匠である立川談志に稽古してもらった『狸』を当人に聴いてもらった時に、こう言われたのだという。談志の言葉を流出した私は、まるで自分が「型がしっかりしていない就職生に、型破りを求めるな」とくだんの方に言ったような気持ちになって、その日は床についた。

同日、14時24分。言葉の主である立川談志が、死んだ。
 
2011年11月23日、昼。私は再び憤っていた。

私がTwitterでフォローさせていただいている方がリツイートした、「立川談志が死んだ」というつぶやきを目にしたからだ。私がフォローさせていただいているその方は、談志と近しい関係にある人物で、彼はそのリツイートに対して「裏は取れていない」と書いていた。そこで、僕はそれを完全にガセ情報だと決めつけて、憤っていたのである。

まったく、談志が死ぬだなんて、冗談にしてもタチが悪い。まあ、何年か前に私もエイプリルフールでそんなことを言ったことがあるけれど、でも病気で休んでいる段階でそんなことをいうなんて、時期を考えろよ、時期を。でも、もし談志が死んじゃったら、どうなるんだろうな。弟子たちでもって、全国行脚追悼公演とかやるのかな。最期の上納金と称して、法外なチケット代を請求したりしてな。で、千秋楽で、談志の遺体を担いで、皆で『らくだ』みたいにカンカンノウを踊ったりして……。と、思っていた。

その日の夕刻、立川談志の訃報が伝えられた。ガセであるべき情報はガセではなく、誤報であってもらいたかった速報は誤報ではなく、それは弟子たちにとっても寝耳に水で、当然のことながら弟子以外の芸人たちにとっても驚くばかりの話で。瞬間、世界が真っ白になった。……ような気がした。

それからの数日間、私のTLはとにかく騒がしかった。談志の死にショックを隠しきれない人、談志との思い出を語る人、感銘を受けた談志の言葉を抜粋する人……色々な人たちが立川談志という人間の魅力を言語化していた。普段はそれほど落語に興味が無い人ですら、談志の喪失に驚きを隠せない様子だった。その一方で、妙な事も起きていた。数日前につぶやいた言葉が、物凄い勢いでリツイートされていたのだ。見ると、立川談志の型に関する言葉を抜粋した、あのつぶやきだった。まさか、こんなことになろうとは思わなかったが、結果として、談志が遺した言葉、いわば遺言として伝達されていったようである。

だが、この言葉、実は談志オリジナルの言葉ではない。

21日の深夜、ある落語識者の方が私に教えてくれたのだが、この談志の言葉は『淀五郎』という古典落語の中で使われている台詞なのだという。舞台は歌舞伎の世界。忠臣蔵の塩冶判官に抜擢された沢村淀五郎だったが、判官切腹の場で大星由良助役の市川團蔵が台本通りに演じてくれない。どうして演じてもらえないのかと聞くと、「そんなことも分からない役者は本当に腹を切ってしまえ」と切り捨てられる。そこで淀五郎は本当に切腹することを決意し、また、その前に團蔵を殺してしまおうと考える。しかし、その前に師匠である中村仲蔵に暇乞い(別れの挨拶)をしに行く。淀五郎の様子に違和感を覚えた仲蔵は、何があったのかと尋ねる。観念した淀五郎は仲蔵に事の全てを伝える。すると仲蔵は「團蔵は皮肉屋だが、芝居に関してはマジメな男だ」といい、続けて、淀五郎に芝居を見せてみろという。この時、淀五郎の塩冶判官を観た仲蔵が口にした言葉が、この談志の言葉の元なのだという。

早速、手元にある五街道雲助の『淀五郎』を聴いてみたが、そんな言葉は聞き取れなかった。もしかしたら、雲助師匠なりに改変して、その言葉を切ってしまったのかもしれない。しかし生憎、私が持っている『淀五郎』の音源は、これのみだ。仕方なしに、ネット上に落ちていないかと調べてみたら、古今亭志ん生師匠の音源を見つけた。聴いてみると、確かにそれらしき台詞がある。試しにもそっと調べてみると、どうやら歌舞伎の世界では当たり前に伝えられている言葉らしい。なにやら興味深い話だ。何故ならば、談志がこの言葉を弟子に伝えることが出来たということ自体が、即ち、家元自身もまた型をしっかりと築き上げてきたことを証明しているからだ。全ては、繋がっているのである。

吉川潮(文)・山藤章二(絵)による評論本『芸人お好み弁当』の一文。

山藤章二「立川談志の弟子たちはそれぞれが個性的で、師匠のミニチュアはひとりもいない。が、師匠の長所(短所)はうまく分配して受けついでいる。たとえば……「天邪鬼」は左談次が、「ものかき」は談四楼が、「声」は志の輔が、「巧さ」は談春が……そこで志らくだ。彼は師匠の「狂気」と「顔」を受けついだ」……


談志によって培われた型は、様々な形に壊されていくも脈々と受け継がれていくのだろう。そこに、何の心配もない。
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プロフィール

菅家しのぶ

Author:菅家しのぶ
お笑いDVDコレクター。2014年5月からコンテンツリーグ発行のフリーペーパー『SHOW COM(ショーコン)』で名盤DVDレビュー「神宮前四丁目視聴覚室」を連載中。

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