スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『現代落語論』(立川談志)

現代落語論 (三一新書 507)現代落語論 (三一新書 507)
(1965/12/10)
立川 談志

商品詳細を見る

立川談志が落語について書いた本。本が出版された当時、談志はまだまだ真打になったばかりの29歳。そんな若手の時期に書かれた本とは思えない程に、本書では落語というジャンルとがっぷり四つに組み合っている。……いや、恐らくは、落語家ならば誰もが少なからず、落語と真剣に向き合っていることだろう。ただ、落語を取り巻く状況に対して、イチ落語家として理性的に思いの丈を述べるには、29歳という年齢はどうも若過ぎる。何十年も経過した今でさえそう感じるのだから、それこそ当時はかなりの反響があったことだろう。そこに、まずシビれたね。

本書に書かれていることは、「落語とはどういうものなのか」「談志は如何にして真打(※一人前の落語家)になったのか」という基礎的な話から、「今、落語家はどうなっているのか」「今の時代に落語はどうあるべきか」「これから落語はどうなるのか」などの現状についての話まで、まさに『現代落語論』と呼ぶに相応しい内容になっている。きちんと基礎的な話もなされているので、落語についてそこそこ知っている人は勿論、さほど落語に詳しくない人でも読みやすいのではないだろうか。単に、談志のエッセイとしても楽しめるし。真打になるまでのプロセスなどは、知らない話も多くて面白かった。……まあ、僕はそもそも、師匠のことを殆ど知らないのだから、知らなくて当然なのだが……。

本書が出版されたのは1965年、つまり今から47年も前に書かれたことになる。そんな昔に書かれた本が、果たして21世紀を迎えた現代でも通用するのか……と、心配する人もいるだろうが、これが妙に通じるところがあるから面白い。例えば、落語の本質と大衆との間にズレが生じているのではないか、という話のくだりに出てくる「受ける芸人、とよく人がいうが、この受けるという言葉が、今や、笑わせる、という言葉に完全に変わってきてしまったといえる。そして、その笑いはその内容よりも量である」なる一文は、近年囁かれていたM-1グランプリの手数論を彷彿とさせる。勿論、落語と漫才とでは、それぞれ本質的な部分が違っているのだろうが、なかなか興味深い共通点である。多分、落語に興味がない人でも、読めば引っ掛かるところがある一冊ないかと思う。文体も読みやすいしね。

最後に、ちょっとグッときた文章を抜粋する。

 いいわけにならないかも知れないが、やはりわたしは大衆が欲しい。みんなに受けてもらいたいし、わかっていただいて支持されたい。このような悩みはわたしにかぎらず、モダンジャズ奏者である友人も、同じことをいっていた。
 ……そして、幸か不幸か、わたしたちのすぐ目の前にマスコミがある。しかし、古典落語だけではマスコミに入っていけない、とはいえ、一芸人として、今でいうタレントとしてなら当然、その力があり、素質がありさえすれば入っていけるし、しかもその中から頭をだすことも可能だ。
【略】
 しかし、ひとたびその世界で信用を得たときは、大衆はそれを噺の世界まで追っ駆けてきてくれるとわたしは信じたい。その信用によっていい落語を、笑いがたとえすくなくても良質の噺をお客さんに聞かせることができれば、噺の自信もでてくる。つまり、マスコミで得たものを寄席へ持って帰ってくればいいのだ。
 だから、飛びだして行くのはいい。しかし、絶対に寄席へ帰ってこなくてはいけない。マスコミで売れた、そのキラキラしたひかったものが、いまの落語の世界にはとくに必要なのだ。


落語に限らず、閉鎖的なジャンルならどれにでも当てはまる言葉ではないか、と思う。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

菅家しのぶ

Author:菅家しのぶ
お笑いDVDコレクター。2014年5月からコンテンツリーグ発行のフリーペーパー『SHOW COM(ショーコン)』で名盤DVDレビュー「神宮前四丁目視聴覚室」を連載中。

連絡用メールアドレス
loxonin1000mg@yahoo.co.jp

Twitterアカウント
https://twitter.com/Sugaya03

検索フォーム
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。