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バラエティにおけるイジメについて考えた。

昨夜、“バラエティにおけるイジメ”について考えていた。

話の発端となったのは、スギちゃんの事故を受けてコラムニストの小田嶋隆氏が昨今のバラエティ番組について語った、一連のツイートである。小田嶋氏は、スギちゃんが10メートルの飛び込み台から落下したという報道を受け、「21世紀のバラエティーにおいて、最も確実に笑いが取れるのは、誰かが心底からおびえている姿を、大勢で取り囲んで笑っているシチュエーション」と語り、更に「テレビ画面の中に体育会の新人イビリみたいな笑いが蔓延していることについて、画面の中の人たちが口をぬぐっている」「言葉や演技で笑いが取れない場合、番組企画は「公開処刑」か「ドッキリ」に行き着く。いずれも「パニックに陥った人間が見せる滑稽な仕草」を笑うだけの、ひとっかけらの創造性もない笑いだが、打率は高い」などの持論を展開した。

テレビの中でいじめが蔓延している、という小田嶋隆さんの見解(Togetter)

これに対し、日頃からバラエティ番組や芸人を批評している側の人たちが怒りを露わにした。ある漫画系ブログの筆者は、具体的には名前を出していないものの、これを「凡庸バラエティ批判」と斬り捨てた。ノンフィクションライターとして活動している中山涙氏は、これも自身のブログで「(小田嶋氏のバラエティ批判は)化石じみている」と声を荒げて批判した。

また出た凡庸バラエティ批判(ふぬけ共和国)
小田嶋隆さんのバラエティ番組の認識が化石じみている件(死んだ目でダブルピース)

かくいう私も、小田嶋氏の一連のツイートに対して違和感を覚え、スギちゃんの事故からバラエティにおけるいじめ的なことに対して批判を展開するのはおかしいのではないか、という根源的な部分について書いた。が、先の三つのリンクに対して、この記事に対するリアクションは薄かった。お笑い評論界のねずみ男を自称する私としては、なにやら残念である。

スギちゃんの事故と周辺について(藝人狂時代)

察するに、今回の話のテーマとなっている(と思われる)、“バラエティにおけるイジメ”について触れていないので、反応が薄いのだろう。そこで、もうちょっと真剣に考えてみようと思い、昨夜も自分の中で考えていたのだが……あれこれと試行錯誤しているうちに訳が分からなくなってしまい、気が付くと「バラエティでイジメがあって何が悪いの?」という結論に達してしまった。我ながら理不尽な結論だが、以下でその理由について説明したいと思う。
 
本題に入る前に、少し考えなくてはならないことがある。それは、昨今のバラエティにおいてイジメのシチュエーションをどれだけ目にするのか、ということだ。実を言うと、私もあまりバラエティ番組を熱心に鑑賞する人間ではないので、小田嶋氏が言うような「誰かが心底からおびえている姿を、大勢で取り囲んで笑っているシチュエーション」を描いたバラエティ番組をあまり観た記憶がない。いわゆるドッキリをテーマにした番組は何度か観たことがある。『ロンドンハーツ』や『めちゃイケ』などのバラエティ番組では、たびたびドッキリのシチュエーションが展開されている。それを見て、不快に感じることもある。ただ、それも現在のバラエティ番組のメインになっているとは言えない。一体、どこにイジメのシチュエーションがあるのか。「最も確実に笑いが取れる」のであれば、もっと目にする機会があってもいい筈なのだが。

本題。“バラエティにおけるイジメ”が、どうしていけないことなのか。一般的に知られているように、テレビ番組において視聴率は絶対的なものである。あえて、それに逆らおうとする一派も中には存在するが、基本的にテレビ番組において視聴率は獲らなくてはならないものと言われている。極端な話、視聴率を獲るために番組の企画が存在していると言ってもいい。つまり、バラエティにおいてイジメのような描写があったとすれば、それは企画者が視聴率が獲れるだろうと見込んで作られたものであるか、或いは、実際にそれで視聴率を獲ったからやっているのだ。それを低俗と言いたいのであれば、言えばいい。しかし世間はその低俗を望んでいるのであるから、しょうがない。小田嶋氏は「小学生から老人まで、教養のある無しにかかわらず、全員が笑える」と表現している。ならば、人間は本来から低俗だということなんだろう。

……と、あえて小田嶋氏の言い分に寄りかかって論じてみたが、現実はそうではない。先にも書いたように、“バラエティにおけるイジメ”を見かける機会は少ない。そもそも、小田嶋氏が批判の発端としているスギちゃんの事故にしても、特番の一企画として制作されたものだ。それを受けて「21世紀のバラエティーにおいて~」などと断ずるのは、内容云々以前に、やはり的外れに思える。むしろ、小田嶋氏が言っていることは、21世紀のバラエティ番組に対するレッテル貼りでしかないのではないだろうか。

無論、バラエティ番組が世間に与える影響については、やはり考えざるを得ないだろう。その責任を無視しろ、逃がせとは言えない。言うつもりもない。バラエティ番組を一つの表現として捉える以上、そこには表現としての責任がある。むしろ私は、バラエティ番組が批判を受けるのは致し方がないと考えている。ただ、本件の発端となっている小田嶋氏のツイートは、あまりにも漠然としていて具体的ではなく、古き良き時代から伝えられている盲目的で安易なバラエティ番組批判の継承としてしか捉えられなかったので、こうして反論を書かせていただいた。小田嶋氏はかねてよりテレビ番組に対しては批判的なスタンスで、これまでにテレビ批評系の本を二冊ほど書かれている。私も拝読させてもらったが、テレビとは一定の距離を置いたうえで展開する持論が実に面白かった。そんな人が、こんな現代性の無い批判を(Twitter上でとはいえ)展開されたことは、なんとも残念である。

追記。「イジメ演出自体についてのスタンスが分からない」というコメントがあったので、考えてみる。はっきりいうと、私自身はイジメ演出が嫌いな方である。以前に『めちゃイケ』でやっていた武田サックスの件についても激怒したし、若い衆がキザな若旦那に腐った豆腐を食べさせる『酢豆腐』もイジメの構図を思わせて好きではない。ただ、判断に困るのは、“イジメ演出”と捉えればいいのかが分からないヤツ。いわば“イジリ演出”とでもいえばいいのだろうか。例えば、『とんねるずのみなさんのおかげでした。』において、中堅芸人たちがとんねるずに高額商品を買わされる企画。先輩芸人が後輩芸人に自腹で高額商品を買わせるという構図は理不尽でイジメ的だが、買わされる商品がマジの高級品で、またあまりにも高額過ぎて、もはや状況がナンセンスの領域に持ち込まれてしまっている感があって、ついつい笑ってしまう。結局は見せ方次第なんだろう。それ故に、断言し切れない。中途半端で申し訳ないネ。

最後に。



だったら、死ぬまでナンシー関コピペってろ!
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No title

テレビは、現実世界における反面教師を代行する、社会の必要悪という一面も担っている。
時に子供たちが物事の良し悪しを分別し、耐性や免疫を身に付ける機会にもなり得る。
もちろんそれには、親や教育者の適切な指導が必要ではあるが、
「バラエティ番組がイジメを助長している」と責任を転嫁し、
不快な物はすべて排除したがる子供じみたエゴまる出しの
馬鹿な大人には、それが理解できていないようだ。

子供たちに見せられないエログロな物まで放送しろとは言わないが、
何でもかんでも規制することでイジメを抑制できるとは、私はとても考えられない。
人間が感情を持つ生物である限り、この世からイジメが無くなることはない。
だったら遠ざけるのではなく、むしろ向き合うことこそが重要。
いつまでもおままごとの世界で子供を育てられるわけじゃないのだ。

かなり極端な自論だが、
テレビの仮想世界が悪者を代行してくれている分、
我々の暮らす現実世界がそこそこ平穏に保たれている。
そう考えたなら、もう少し緩やかな気持ちでテレビを観られるんじゃないだろうか。

米国のプロレス団体WWEみたいに、しつこいくらい「素人はハンパな気持ちで俺たちの真似すんなよ!死ぬぞ!」て警告するとか。
プロフィール

菅家しのぶ

Author:菅家しのぶ
お笑いDVDコレクター。2014年5月からコンテンツリーグ発行のフリーペーパー『SHOW COM(ショーコン)』で名盤DVDレビュー「神宮前四丁目視聴覚室」を連載中。

連絡用メールアドレス
loxonin1000mg@yahoo.co.jp

Twitterアカウント
https://twitter.com/Sugaya03

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