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志の輔らくごの了見。

先日、三遊亭圓生『八五郎出世』を聴いた。

NHK落語名人選(41) 六代目 三遊亭円生 八五郎出世・夏の医者NHK落語名人選(41) 六代目 三遊亭円生 八五郎出世・夏の医者
(1993/02/01)
三遊亭円生(六代目)

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『八五郎出世』とは、文字通り出世を描いた古典落語だ。お殿様・赤井御門守に見初められた裏長屋のお鶴が、それまで子どものいなかった殿様の男子を出生し、“お鶴の方様”と呼ばれる立場になる。そのことを受けて、兄である八五郎が屋敷に招かれるのだが、職人気質で乱暴な八五郎は、礼儀作法を重んじるお屋敷でもいつもの通りに振る舞ってしまう。しかし、その姿を気に入った殿様が、八五郎を士分に取り立てる……つまり、一介の職人が侍に“出世”する物語、それが『八五郎出世』というわけだ。ちなみに、『妾馬』という演目で呼ばれることもある。

『八五郎出世』は、乱暴な八五郎の言動とお屋敷の厳粛な雰囲気のギャップを描いた、滑稽噺として演じられることが多い。今の時代に殿様は存在しないが、目上の人を相手にする緊張の場面は現在でも体感することが出来るので、お屋敷で普段通りに振る舞う八五郎の面白さを容易に想像できるからだろう。しかし、圓生の『八五郎出世』は、単なる滑稽噺では終わらせない。圓生は『八五郎出世』の世界に母親を登場させることで、“お鶴の方様”と呼ばれる身分になってしまった娘に会いに行けない辛さ・切なさを滲ませ、人情噺としての側面を引き出しているのである。とはいえ、やはり基本的には滑稽噺としての了見を見失わせず、すぐさま通常の流れに戻されるのだが……、笑いの中にうるっとくる要素をスッと挿し込む、その絶妙な調合がなんともたまらなかった(これが圓生オリジナルの演出なのかは、勉強不足により不明)。

これを聴いて、思い出したのが立川志の輔『新・八五郎出世』である。

志の輔らくごのごらく(5)「朝日名人会」ライヴシリーズ46 「新・八五郎出世」志の輔らくごのごらく(5)「朝日名人会」ライヴシリーズ46 「新・八五郎出世」
(2007/12/19)
立川志の輔

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『新・八五郎出世』のストーリーは、『八五郎出世』と大して変わらない。お鶴が赤井御門守に見初められて男子を出産、屋敷で八五郎がいつもと変わらぬ振る舞いを見せて……と、ここまでは同じだ。しかし、志の輔の『新・八五郎出世』は、ここから大きく改変されている。殿様から「望みはあるか」と聞かれる八五郎は、ケガをした母親の治療費を払うために質屋に入れた道具箱を引き出してもらいたい、と頼む。殿様は快く引き受ける。安心する八五郎。しかし、様子が変わったお鶴の姿を見て、考えを改める。「なんにもしてくれなくてもいいから、いっぺんでいいから、ウチのおふくろに孫を抱かせてくんねえかな……?」。そんな八五郎を気に入った殿様は、八五郎を士分に取り立てようとする。しかし、八五郎は殿様の申し出を断ってしまう。何故ならば、「おふくろと二人暮らし! おふくろが一人になっちゃうでしょ!」。それではおふくろも屋敷に迎えようというと、「おふくろはね、井戸端がないと生きていけないの」……。

圓生と同様、志の輔も母親をクローズアップした演出を取っているが、滑稽噺のスパイス的に母親の話を調合していた圓生に対し、志の輔は後半部分のほぼ全てを「母親を想う八五郎」のために使用している。確かに、現代の感覚でいえば、身分の違いのために初孫を抱けない母親というのは、些かナンセンスではある。だからこそ、母親に救いがある志の輔の『新・八五郎出世』は、圓生の『八五郎出世』よりも現代において非常に正しいといえるのかもしれない。

とはいえ、“江戸っ子は五月の鯉の吹き流し”という言葉にも表れているように、こういった哀愁はどうも江戸っ子には似合わない。ましてや、ここまで真剣に母親のためを思っている江戸っ子なんて、落語の世界にはまず有り得ない画である。『天災』『二十四孝』『文七元結』の様に、蹴っ飛ばされたり泣かされたりして、ぼっこぼこに乱暴に扱われるのが江戸っ子の母親なのだ(ヒドいねどうも)。そういう意味では、『新・八五郎出世』はあまりにも非落語的であるといえる。だが、そんな『新・八五郎出世』を演じている立川志の輔という落語家は、他のどの落語家よりも高い人気を誇っている。何故か。

その理由について考えている最中、ある本にその答えになるかもしれない文章を見つけた。その本とは、志の輔の師匠である立川談志が、自らの人生を語りで振り返っている『人生、成り行き』である。この本で、談志は自身の言葉である「落語は業の肯定である」について、次の様に語っている。

人生、成り行き―談志一代記 (新潮文庫)人生、成り行き―談志一代記 (新潮文庫)
(2010/11/29)
立川 談志

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立川流創設まで、あたしは<人間の業の肯定>ということを言っていました。最初は思いつきで言い始めたようなものですが、要は、世間で是とされている親孝行だの勤勉だの夫婦仲良くだの、努力すれば報われるだのってものは嘘じゃないか、そういった世間の嘘を落語の登場人物たちは知っているんじゃないか。

【中略】

これまでは人間は業を克服するものだ、という通念が前提になっていたわけです。ところが時代が変わって、それまで非常識とされてきたものが通用するようになった。つまり親が気に入らなければ殴るのは当たり前、仕事したくないのも当然、子どもを放っておいてパチンコして殺しちゃうような時代になった。するといまや、それでも親孝行してしまい、それでも努力してしまうのが<人間の業>だということになりかねない。けれども、人情話や忠君愛国を描くのはあたしは嫌だ。

第九回「談志落語を自己分析すれば」より


ここで談志が話している「親孝行してしまい、それでも努力してしまうのが<人間の業>だということになりかねない」という一文に、私は興味を抱いた。これはあくまでも仮説だが、志の輔は談志が嫌っていた現代における人間の業、即ち「親孝行」や「努力」に代表される、もはや笑いの種にされてしまっているような美談をあえて演じているのではないか。だからこそ、志の輔の落語は大衆を惹きつけ、時代を代表する落語家として君臨しているのではないか……と。

最後に、家元による立川志の輔評を引用して、この記事はおしまい。

志の輔はサラリーマンだった。サラリーマンであるということは中庸であるということですよね。おれから見て、こやつはまだ狂気が足りないというかもしれない、NHKの番組なんざやってるうちはダメだと言うかもしれませんが、中庸なやつがここまで来たってことは凄いと思います。でも、そのうち、おれに影響されて狂ってくるんじゃないか、狂わずにいられないんじゃないか。莫迦なら周りに影響されませんけどね、こやつは頭がいいんだから。

第十回「落語家という人生」より

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プロフィール

菅家しのぶ

Author:菅家しのぶ
お笑いDVDコレクター。2014年5月からコンテンツリーグ発行のフリーペーパー『SHOW COM(ショーコン)』で名盤DVDレビュー「神宮前四丁目視聴覚室」を連載中。

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