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『落語CDムック 立川談志2「黄金餅」「野晒し」』

落語CDムック立川談志 2 (Bamboo Mook)落語CDムック立川談志 2 (Bamboo Mook)
(2011/01/15)
立川談志、川戸貞吉 他

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【黄金餅】(1972年3月19日)
こんなことを書くと反感を買うかもしれないが、かつて私は貧乏に憧れていた時期があった。……といっても、駅のホームや橋の下などで、こじんまりと密集しているホームレスになりたかったわけではない。銭を持たないことによって追いつめられた感情、何も捨てるもののない状態から生じる衝動、それら全てを包括したいわば“狂気”に憧れていたのである。無論、今の私にとって、貧乏になってしまうことは恐るべき事態である。もし、今の仕事を放棄して、完全に一人ぼっちの状態でイチから生活していかなくてはならないというような状況になったとしたら、ほんの数ヶ月のうちに私は生きることを諦めてしまうだろう。……今にして思うに、この不可思議な羨望の原因は、恐らく当時に愛読していた漫画『迷走王 ボーダー』及び『聖凡人伝』だと考えられる。どちらの漫画の主人公も貧乏であり、常に不安定で狂気的な感情を孕んでいた。それにしても、想像力のない憧れである。

貧乏人が数多く登場する古典落語の世界において、最も貧乏と狂気に焦点をあてたネタといえば『黄金餅』だろう。物語の舞台は下谷の山崎町にある貧乏長屋。乞食坊主の西念が病気で寝込んでいた。と、そこに様子を見に来たのが、金山寺味噌を売っている隣人の金兵衛。好きな物を買ってきてやると聞くと、西念は餡ころ餅が二朱ほど(※かなりの量と考えていい)食べたいという。言われたとおりに餡ころ餅を二朱ばかり買ってくると、哀れ金兵衛さん、見られていると食えないからと餅だけ取られて外に追い出されてしまう。しかし、あれだけの餅を本当に食べられるのか気になった金兵衛、自分の家に戻って壁の穴を使って西念の様子を覗いてみる。すると西念、餡ころ餅から餡を取り出し、胴巻から溜めこんだ大金を出して、それらを餅に包んで食べ始めた。なんともおぞましい光景に、金兵衛も思わず驚きの声を漏らす。途端に、「金さーんっ!」叫びながら西念が苦しみ始める。慌てて金兵衛が部屋に飛び込んだが、あっという間にこと切れてしまう。さて、西念の腹の中に仕舞われてしまった大金、どうにかして取り出せないものか……。

とにかく、西念の銭に対する執念、或いは、その西念の腹から銭を奪い取ろうとする金兵衛の凄味に打ちのめされる。生前、談志が口にしていた、「落語は人の業の肯定である」を体現したネタと聞いているが、なるほど、それだけの迫力だ。一方で、下谷の山崎町から麻布絶口は釜無村の木蓮寺へと移動する行程を言い立てで表現するところが、一つの聴きどころにもなっている。また、談志の言い立ては、現代の地名がポンポン飛び出すので、なんとも楽しい。さて、ネタの全編を聴くと、西念も金兵衛も業という意味では凄まじいが、個人的には金兵衛に「あ、あ、あ、あーっ!!!」と驚愕の声をあげさせた西念の方が上じゃないかと思っている。まあ、死人に口無し、総取りした金兵衛の勝ちははっきりしているのだが……。もし、貧乏に憧れていた頃の私に、この『黄金餅』を聴かせたとしたら、どういう反応を見せただろうか。「俺も死ぬ間際に銭を餅に包んで食べてぇな!」などと言っただろうか。流石にそこまでバカじゃないとは思いたいが……ことによると、近所の金持ちの葬式にこっそり忍びこんで、腹をかっさばき……うーん(グロ過ぎて卒倒)。

【野晒し】(1975年9月7日)
モテない。どういうわけかモテない。いや、モテない理由は分かっている。私という人間が、異性に対して肉体関係以上の深い興味を抱いたことが無いからだ。もうちょっと分かりやすく書くならば、「この人と同じ時間を過ごしたい」「この人と一緒に暮らしたい」と心の底から思えるような異性を見出せていないからだ。ただ、そもそもの話をすると、それに該当する人物を見出すためには、複数の異性とそれなりに接触する機会を得ていなくてはならない。だが、ファーストインプレッションの段階で早々に諦めてしまっていることが多いためか、そこから更に深い関係に進行し得ない。結果、「誰でもいいや」という投げやりな感情が芽生えてくるわけだが、無論、そのような理性を下半身に売り払ったような人間に、異性が興味を抱いてくれるはずもない。かくして、このままの状態では、私がモテないという状況に変化が訪れることはないのである。うーん、哀しいネ。

ある朝、長屋の御隠居の元へとすっ飛んできたのは、隣に住んでいる八五郎。いきなり一両よこせと申し出るのだが、渡す理由は無いと断られてしまう。そこで八五郎、普段から女性は嫌いだ、私は釣りだけが趣味だと言っているが、昨夜部屋に連れ込んでいたあの女は一体なんなんだ、と詰め寄る。しかし御隠居、まったく身に覚えがないと白を切る。夢でも見たんだろうとまで言い切ってしまう始末。ところが八五郎には夢ではない証拠があった。夜中に目を覚ますと、男女のヒソヒソ話がするので耳をすましてみたところ、声の元は御隠居の部屋。確認するために壁に穴を開け、そっと中を覗き込んでみると、そこにはいい女に身体のコリをほぐしてもらっている御隠居のみだらな姿。あの壁の穴がなによりの証拠、どっからあの女を連れ込んできた! これを聞いた御隠居、事情を説明する。昨日、釣りのために向島まで出掛けると、そこで野ざらしを見つけた。可哀想にと手向けの句を読んで酒をかけると、夜中にその野ざらしの幽霊がお礼に訪ねてきた。つまり、八五郎が目にした女とは、野ざらしだったのである。しかし、幽霊でも構わないから、あんな美人とねんごろになりたいと、八五郎は御隠居から釣り竿を強引に借りて向島へ……。

古典落語に登場する男には、女にモテない連中も数多く存在する。しかし、そういう類の男たちが登場するネタの多くは、女にモテないというよりも、女郎というプロに弄ばれてしまうという印象を与えるものだ。ところが、この『野晒し』に登場する八五郎は、正々堂々と女にモテないとしか思えない人物である。そうじゃなければ、わざわざ釣り竿を借りて向島まで行って、野ざらしを見つけて女の幽霊に来てもらおうなどという行為に及ぶわけがない。向島に着いてからの挙動も凄まじい。幽霊とのイチャイチャぶりを妄想するあまりに、他人の迷惑顧みず、なんとも傍若無人な振る舞いに及ぶ。その自己中心的な考え方は、まさしく非モテをこじらせたダメ男に他ならない。ただ、古典落語としては、その行動や背景について掘り下げるよりも、リズムとテンポで聴かせるネタとして演じられることが多い。“野ざらしの柳好”とも呼ばれた三代目 春風亭柳好の影響が大きいのだろう。談志の『野晒し』もリズミカルで、向島で釣り糸を垂らしながら陽気に謡う様はなんとも軽妙。とはいえ、当人が「究極に落語一席を選ぶとすれば柳好の『野ざらし』」と公言しているように、やっぱり三代目柳好の音源には敵わない。モテないことをウジウジするくらいなら、いっそ幽霊を相手取った方が前向きで健全なのかも……それって現代で言うところの二次オタってことかーっ(多分違う)
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菅家しのぶ

Author:菅家しのぶ
お笑いDVDコレクター。2014年5月からコンテンツリーグ発行のフリーペーパー『SHOW COM(ショーコン)』で名盤DVDレビュー「神宮前四丁目視聴覚室」を連載中。

連絡用メールアドレス
loxonin1000mg@yahoo.co.jp

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https://twitter.com/Sugaya03

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