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鶴瓶と落語の夜の夢。

ある夏の夜のことだ。

部屋のテレビをつけっぱなしにした状態でパソコンに向かっていると、いきなり怒鳴り声が聞こえてきた。何事かと驚きながら、テレビの画面に目を向けると、そこには半裸で有名タレントたちに怒鳴り散らしている笑福亭鶴瓶の姿があった。少しばかり酒をひっかけているらしく、些か呂律が怪しい。数年前、テレビの生放送中に酔っ払った鶴瓶が下半身を露出してしまった事件は、今でも多くの芸人たちによって語り継がれている。思うに、この時の番組は、あの事件の再来を演出しようとしていたのだろう。

だが、その光景を目にして、私はまったく別のことを考えていた。酔っ払った鶴瓶の怒鳴り声に、彼の師匠である笑福亭松鶴の喉を感じたからだ。

六世松鶴極つき十三夜六世松鶴極つき十三夜
(2010/11/03)
笑福亭松鶴(六代目)、笑福亭仁鶴 他

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六代目笑福亭松鶴。三代目桂米朝、三代目桂春團治、五代目桂文枝とともに上方落語の復興に貢献した“上方落語四天王”の一人である。酒好き、女好き、借金まみれという古き良き時代の芸人としての人生を全うし、その人気は未だに衰えていない。「2012年に桂文枝を襲名した桂三枝が【六代 桂文枝】を名乗っているのは、上方では“六代目”といえば六代目松鶴を指すから」というエピソードが、その存在の大きさを物語っている。十八番は『らくだ』。酒に関する噺がとても上手かった。

鶴瓶が初めて六代目松鶴の元を訪れたのは1972年のこと。一人で行くのは恐かったので、友達と一緒に自宅を訪問したという。実は、その一年前には既に弟子入りを決意していて、とある会場の楽屋口までは行けたのだが、そこで大勢の弟子たちが松鶴に「お疲れ様でした」と言っている姿を目にして、物怖じしてしまったのである。家の中に上げてくれた松鶴に「親の承諾が要る」と言われた鶴瓶は、芸人嫌いの父親を無理矢理に騙して同道し(※後で物凄く怒られた)、なんとか弟子入りを許される。

ところが、松鶴は鶴瓶に殆ど落語を稽古しなかった。そういう方針を取っていたわけではない。原因は、ちょっとしたしくじりだった。その当時のことを、鶴瓶本人が落語作家・小佐田定雄氏の編集による『青春の上方落語』で語っている。

青春の上方落語 (NHK出版新書 422)青春の上方落語 (NHK出版新書 422)
(2013/12/06)
笑福亭 鶴瓶、桂 南光 他

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 稽古してもろてるある日の朝、おやっさん(※松鶴)がブラックコーヒー、あーちゃん(※松鶴夫人)がミルクティを飲まはるんで、ぼくがこしらえたんです。ぼくの実の親父はコーヒー好きで、毎日、インスタントやなしに、豆からコーヒーをたてて飲んでました。そのときに、ミルクを流すようにスーッと入れてたんが格好よくてねえ、「ええなあ」と思うてたんです。
 そこで、あーちゃんのミルクティをこしらえるときも、紅茶にミルクをスーッと流すように入れて表面をミルクで覆うようにしたんです。そしたら、あーちゃんが紅茶が入ってないと早トチリしはって「わて、ミルクて言うてないがな!」て、えらい怒らはった。うちのおやっさんもそれにかぶせて、
「だいたいおまえは、人の話聞いてへん。なんや、これ?」
 よっぽど「かきまぜてもろたらミルクティです」と言おかと思うたんですけど、恥かかすように思えたんで、素直に「すんません」とあやまった。おやっさんも虫の居所が悪かったんか、えらい怒らはって、それからぼくの稽古がなくなったんですよ。


あらぬ誤解から師匠に落語を教えてもらえないという憂き目にあった鶴瓶だったが、マスコミにはすぐさま気に入られることになる。兄弟子・手遊(おもちゃ)が小学生の落語家として注目されていた頃、そのお供としてあっちこっちへついていくと、大学中退でもじゃもじゃ頭の男が小学生に「兄さん」と敬語を使っている姿が「面白い」と気に入られ、そこから少しずつ鶴瓶個人へと注目が集まるようになったのである。その一方で、若手の勉強会【つばす会】に参加し、落語家としての活動も続けていた。月に一度あるかないか程度ではあったが、これがあったからこそ、後に落語に戻ってこられたのだと鶴瓶は述懐する。

ところで、松鶴は本当に鶴瓶に何も教えなかったのか。

調べてみると、『師匠噺』(浜美雪)に興味深い証言を発見した(「発見した」といっても、ここで抜粋している言葉は全て鶴瓶本人によるものなのだが)。入門から一年後の1973年のある朝。松鶴は鶴瓶にあることをやらせた。それは、自身の落語会の様子を録音した落語三十五席分のテープ起こしだった。同じ大阪とはいえ、住んでいる場所によってはニュアンスに多少のズレが生じることがある。だが、松鶴と鶴瓶は同じ大阪のド真ん中出身だったため、このテープ起こしを命じられたのだろう、と鶴瓶は考える。

師匠噺師匠噺
(2007/04)
浜 美雪

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 でもいまになって思いますよね、それが、師匠なりの”稽古”だったんだと気づいたんです。
 面と向かっての稽古はつけないが、自分のテープを聴いて、文字に起こしながら学べ、いうことですね。
 そら、何度も何度もテープ聴き返しながら、文字に起こしていくわけですから、染み込んでいきますよ、師匠の口調だとか間だとかが。
 すごい配慮だと思いますよね。


今現在、上方落語協会の副会長として、落語界全体を盛り上げていくことに苦心している鶴瓶。かつて、師匠から落語を教えてもらえなかった落語家は、今や落語界には欠かせない存在となった。浜氏は、そんな鶴瓶こそ、松鶴の芸や夢を一番忠実に引き継いでいると考える。

鶴瓶は語る。

 芸人って死んだら終わりなんですよ。落語家同士は知ってるけど、「松鶴」なんて言っても世間一般の人は知らないですよ。「伝説」になるためにはその人の弟子が、生きている間にその人に近いことをやって、「あんな弟子を育てたんや」ということをいかに示すかが大事なんです。名前を継承することも大事かもしれんけど、その人は死んだら終わりなんですよ。ですから死んだらあかんのです。死ぬまで一生懸命がんばらなあかんのです。


テレビには、頑張っている鶴瓶がまだ映っていた。出演者全員が笑っていた。
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プロフィール

菅家しのぶ

Author:菅家しのぶ
お笑いDVDコレクター。2014年5月からコンテンツリーグ発行のフリーペーパー『SHOW COM(ショーコン)』で名盤DVDレビュー「神宮前四丁目視聴覚室」を連載中。

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