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いともたやすく行われるえげつない行事

さて、クリスマスイブである。

クリスマスがどういう行事であるかは存じている。私も子どもの頃はサンタクロースなる赤き衣を身にまとった老人から欲望にまみれた感情を正当化してくれるプレゼントを頂戴することに期待していた人間だった。無論、サンタクロースなる存在が、一体ドコのナニガシなのかは知っていたが、それでもプレゼントを貰えることには違いないので、ちゃんと楽しみにしていた。とはいえ、はっきりと両親に「○○が欲しい!」と言い、両親も「分かった!」と答える、なんともドライなやり取りを交わしていたが。有難いことに、私の両親はのび太のパパみたいに小学生の息子に百科事典を贈る様な人間ではなかったのである。余談だが、のび太のパパが普段は和服なのに息子にパパと呼ばせているところに、違和感を覚えてしまうのは私だけだろうか。

しかし、ある年齢を超えると、クリスマスには別の意味が含まれるようになる。サンタクロースからプレゼントを貰える日ではなく、恋人と過ごさなくてはならない日へ。考えてみると意味が分からない。恋人同士なのだから、普段から会っているだろうに。それを、どうしてわざわざ、人通りが多いだろう街の中へと飛び出して、どこぞのおっさんが何日も前から準備していただろうイルミネーションに心を躍らせ、値段とボリュームが見合わないディナーに舌鼓を打ったり打たなかったりしながら、なし崩し的にホテルでなんぞするという、これらの過程を背負わされているクリスマスの身にもなってもらいたいものだ。ホワイトクリスマスが別の意味になってしまうぞ。曲がりなりにも“聖夜”だというのに、聖なる夜を過ごしている人たちがどれだけ存在するのか。恋人同士は勿論のこと、あえてこの日はレンタルショップでアレなナニをいっぱい借りまくって、俺だってホワイトクリスマスの仲間入りだってなことをつぶやきながら、モニターの薄明りに包まれながらなんかしらかをしている独身男性だっているのだろう。いないか。私もしない。

堀井憲一郎『若者殺しの時代』によると、恋人同士でクリスマスを過ごす風習を広めたのは、1983年の12月にクリスマス特集を打って出た『an・an』なのだそうだ。下らないことにも徹底してデータ収集して臨むことで知られている堀井氏が言うのだから、きっとその通りなのだろう。

若者殺しの時代 (講談社現代新書)若者殺しの時代 (講談社現代新書)
(2006/04/19)
堀井 憲一郎

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堀井氏は語る。

 クリスマスが恋人たちのものになったのは1983年からだ。
 そしてそれは同時に、若者から金をまきあげようと、日本の社会が動き出す時期でもある。「若者」というカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうするべきだ」という情報を流し、若い人の行動を誘導しはじめる時期なのである。若い人たちにとって、大きな曲がり角が1983年にあった。女子が先に曲がった。それを追いかけて、僕たち男子も曲がっていった。いまおもうと、曲がるべきではなかった気もするが、当時はどうしようもなかったのだ。


つまり、クリスマスに恋人同士で過ごしている人たちは、知らず知らずのうちに資本社会から金を巻き上げられているのである。そして、クリスマスを孤独に過ごしている人こそ、そういった私利私欲の枠から解き放たれた確固たる志向の持ち主なのである。見よ、あのクリスマスに集う恋人たちの群れを! なんと愚かで醜い群れだ! あの様な群衆に身を置くことは、即ち敗北である! 叫べ! 今こそ勝利の雄たけびをあげ、蝋燭の火を消し、ホワイトクリスマスを血で染めるのだ!!!(※これは比喩的表現であり、テロ行為を推奨するモノではありません)


 
というわけで、今年も私は靴下をぶら下げてオヤジを待っているのであった。ちゃんちゃん。
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プロフィール

菅家しのぶ

Author:菅家しのぶ
お笑いDVDコレクター。2014年5月からコンテンツリーグ発行のフリーペーパー『SHOW COM(ショーコン)』で名盤DVDレビュー「神宮前四丁目視聴覚室」を連載中。

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