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「評価している人が悪い」問題

最近、「作品を批判するために、その作品を評価している人たちを糾弾する」テキストを、よく見かける。どうも、まだあまり有名ではない制作者自身を批判するのは可哀想だから、という理由が主らしい。気持ちは分からなくもない。実際問題、どんな作品であろうとも、それを評価する人が存在しなければ、単なるゴミだ。そのゴミ同然となるべき作品が世に出回っているということは、つまり世間の愚鈍な眼を持った連中が評価しているからなわけで、だから彼らを批判する……非常に筋は通っている。通っているとは思うけれど、個人的にはなんていうかこの手法、とっても嫌悪感を覚える。

というのも、この手法で作品を批判している人たちは、「あの作品が評価されているのは、評価している人間が間違っているからだ!」という時点で、まるで戦後の頑固オヤジの様に思考停止しているように感じられるからだ。何故、その作品が評価されているのか、その作品が多くの人に見られているのか、それについての推察が表面的なところに留まっている。一部とはいえ、何かしらかの評価を受けている時点で、そこに見るべき点はあるのだ。その見るべき点を見ずに、見るべき点を評価している人たちを糾弾するというのは、些か乱暴に感じる。少なくとも、多少は歩み寄る必要性はあるだろう。完全に否定してしまっては、それも叶わない。評価されるべきじゃない作品が評価されている、評価している人たちが間違っているのだ、鈍感なのだ、などと仲間内に嘆きをぶつけることに何の生産性があるというのか。

それと、もう一つ気になっているのは、制作者を可哀想だと感じている謎の優しさである。個人的には、オリジナル作品を生み出すことも、既存の事物に対して批判することも、同様にクリエイティブな作業だと思っているのだが、どうも同じクリエイターに対して甘っちょろいというか、いっそ下に見ているようにすら感じられる。そもそも、この手法であっても、普通に作品を批判した場合と同様に、その制作者の作品を脊椎反射的に嫌う人が増えるのは間違いないのだから、何の優しさにもなってはいないと思うのだが。むしろ、優しさを見せている私を見てほしいと言っているようにすら感じられ、それを意図していないにしても、とてもみっともない。

……などということを、具体的に誰が言っていたことに対する批判なのかを書いていない時点で、私も新年早々実にみっともないのだが。まあ、私がそういう手法を嫌っているというだけの話なので、どこぞの皆さんは気にせず、そういう手法の批判を繰り広げればいいのではないかと存じます。ただ、私は嫌いです。はい。
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菅家しのぶ

Author:菅家しのぶ
お笑いDVDコレクター。2014年5月からコンテンツリーグ発行のフリーペーパー『SHOW COM(ショーコン)』で名盤DVDレビュー「神宮前四丁目視聴覚室」を連載中。

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