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ぐるぐる

世界のナベアツの悲しみと楽しみ(評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」)

コメント欄で山崎氏は「他人を傷つけるわけでもなく、同時に鋭い風刺が効いていて、しかし普遍的で且つ圧倒的におかしいという意味では、チャップリンは凄かったと改めて思います」と書いている。

「チャップリンが凄かった」という点には同意できる。ただ、「他人を傷つけるわけでもなく」というコメントは間違いだ。これは山崎氏の視点で見て、そう思っただけの話であり、全人類がチャップリンの映画を観たとして、誰もが総じて傷つかないなんてことは有り得ない。少なくとも、ヒットラーが『独裁者』を観ていたら、傷ついたんじゃないかな(笑) ……茶化したみたいに書いたけど、でも、実際問題そういうことじゃないかと思うのだ。

とどのつまり、何が言いたいのかというと、山崎氏が言うところの<笑いの背景に時に存在する差別意識を理解しながらでも、なおかつ笑いを楽しむこと>は不可能なのではないか、と思うのだ。何故ならば、そもそも大多数の人間は、その表現を「差別」だと思わないことが多く、その意識を持つキッカケすら掴めないからである。山崎氏が、チャップリン映画は「他人を傷つけない」と信じて疑わなかったように。完璧な笑いなどといったものは存在しない。完璧な観客が存在しないようにね。なんつって。

最後に、関係ないかもしれないけれど、森博嗣の著書『臨機応答・変問自在』(集英社新書)の中の、とある質疑応答を思い出したので、抜粋することにする。この言葉は、今回の件の一つの終着点であるように思うのだ。回答しているのが森氏ね、念のため。

Q.「一宮にあるタワー(※ツインアーチ138)は私も見たことがあるのですが、あれはやはりちゃんとしたデザイナーがデザインしたものなのでしょうか? 私にはまったく良さがわからないのですが」
A.「人それぞれです。しかし、万人が受け入れるものはつまらないものかもね。良いデザインとは、何かを拒絶するものだ、とも思う」

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菅家しのぶ

Author:菅家しのぶ
お笑いDVDコレクター。2014年5月からコンテンツリーグ発行のフリーペーパー『SHOW COM(ショーコン)』で名盤DVDレビュー「神宮前四丁目視聴覚室」を連載中。

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