追悼・祝々亭舶伝
呑気に『クイック・ジャパン vol.80』を読んでいると、ヂエームス槇氏によるコラムが目に留まった。コラムのタイトルは「追悼・祝々亭舶伝」。祝々亭舶伝。どこかで聞いた名だ。誰だっけ。小一時間ほど考えて……ようやく思い出した。いやはや、情けない。彼のことを忘れていたとは。
祝々亭舶伝。三代目桂春団治を師匠に持った落語家で、かつては桂福団治と名乗っていた。その後、桂春輔と名前を変え、最終的に祝々亭舶伝となった。桂春輔と名乗っていた頃、彼は“気違い春輔”と呼ばれていた。「医者に栄養を取らないといけないといわれ、御飯にアリナミンをかけた」「モリソバだけを先に食べた後、ツユだけ飲んだ」「立川談志に「ペニスの先から屁が出る」と自慢した」などの異常な行動のためである。
しかし、その芸については一目置かれていた。派手なコントや漫才に負けないように、高座で飛び跳ね、舞台を走り回る激しい創作落語で、客にウケていた。あまりに動きすぎて、ムチ打ちになったこともあった。その時、医者には「交通事故ですか?」と聞かれたという。
落語家としての活動だけではなく、役者“大阪矢介”としても活動した。自分がウケるためには、どんなことだってした。氷が浮く川に飛び込んだこともあったし、一万円を貰って走っている車に飛び乗ったこともあった。ちなみに、その当時のことについて舶伝は「一万円もらった時の喜びもあるし、それにスタッフに受けるのがうれしいし、スリルもあるからやめられまへんで」と語っている。ある意味、出川哲朗の大先輩と言えるのかもしれない。
また舶伝師は、貧乏人だったということでも知られていた。親の代から住んでいる借家は、ゆがんだ畳はジェットコースターの様にうねっていたし、トイレのカベには大きな穴が空いていた。階段は踏み抜いたままだし、天井板ははげてブラ下がっている。それをネタに、テレビのワイドショーに取り上げられたこともあった。
そんな破天荒な落語家だった舶伝師は、後に春団治一門を破門になる。なんでも、自分の会の切符を春団治師行きつけの店に売りに行き、迷惑をかけたことがきっかけだったらしい。これまでに何度もしくじっていたことも手伝って、当時の春輔は華麗に破門。彼は祝々亭舶伝を名乗るようになった。その後、舶伝の行方は掴めなくなってしまう。風の噂によると、ガンに冒されたらしいのだが……。
以上の記述は、全て『完本・突飛な芸人伝』(吉川潮)からの情報を書き写したものだ。自分でバイブルと呼んでいる本の中に、彼の名前はあったのである。ああ、情けない。自分の記憶力の無さが、とにかく情けない。
その祝々亭舶伝が、亡くなった。今頃になって、なんともいえない喪失感が、風となって胸を吹き抜けていく。薄情なものだ。さっきまで忘れていたくせに。暖房機もない部屋の真ん中で、勝手に目頭を熱くしている。
ヂエームス槇氏のコラムには、当時の舶伝師が披露していた創作落語について解説されている。彼がどういう落語を観客に披露していたのか。それについては、本誌の方で確認していただきたい。
遅ればせながら、合掌。
祝々亭舶伝。三代目桂春団治を師匠に持った落語家で、かつては桂福団治と名乗っていた。その後、桂春輔と名前を変え、最終的に祝々亭舶伝となった。桂春輔と名乗っていた頃、彼は“気違い春輔”と呼ばれていた。「医者に栄養を取らないといけないといわれ、御飯にアリナミンをかけた」「モリソバだけを先に食べた後、ツユだけ飲んだ」「立川談志に「ペニスの先から屁が出る」と自慢した」などの異常な行動のためである。
しかし、その芸については一目置かれていた。派手なコントや漫才に負けないように、高座で飛び跳ね、舞台を走り回る激しい創作落語で、客にウケていた。あまりに動きすぎて、ムチ打ちになったこともあった。その時、医者には「交通事故ですか?」と聞かれたという。
落語家としての活動だけではなく、役者“大阪矢介”としても活動した。自分がウケるためには、どんなことだってした。氷が浮く川に飛び込んだこともあったし、一万円を貰って走っている車に飛び乗ったこともあった。ちなみに、その当時のことについて舶伝は「一万円もらった時の喜びもあるし、それにスタッフに受けるのがうれしいし、スリルもあるからやめられまへんで」と語っている。ある意味、出川哲朗の大先輩と言えるのかもしれない。
また舶伝師は、貧乏人だったということでも知られていた。親の代から住んでいる借家は、ゆがんだ畳はジェットコースターの様にうねっていたし、トイレのカベには大きな穴が空いていた。階段は踏み抜いたままだし、天井板ははげてブラ下がっている。それをネタに、テレビのワイドショーに取り上げられたこともあった。
そんな破天荒な落語家だった舶伝師は、後に春団治一門を破門になる。なんでも、自分の会の切符を春団治師行きつけの店に売りに行き、迷惑をかけたことがきっかけだったらしい。これまでに何度もしくじっていたことも手伝って、当時の春輔は華麗に破門。彼は祝々亭舶伝を名乗るようになった。その後、舶伝の行方は掴めなくなってしまう。風の噂によると、ガンに冒されたらしいのだが……。
以上の記述は、全て『完本・突飛な芸人伝』(吉川潮)からの情報を書き写したものだ。自分でバイブルと呼んでいる本の中に、彼の名前はあったのである。ああ、情けない。自分の記憶力の無さが、とにかく情けない。
その祝々亭舶伝が、亡くなった。今頃になって、なんともいえない喪失感が、風となって胸を吹き抜けていく。薄情なものだ。さっきまで忘れていたくせに。暖房機もない部屋の真ん中で、勝手に目頭を熱くしている。
ヂエームス槇氏のコラムには、当時の舶伝師が披露していた創作落語について解説されている。彼がどういう落語を観客に披露していたのか。それについては、本誌の方で確認していただきたい。
遅ればせながら、合掌。

