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終わりの瞬間

「東京で漫才ブームで売れて、コンビは八年続けました。でも実は、五年たったとき、もう終わりやなと思てたんです。まわりは気づいてなかったけど、自分が一番『終わり』ってわかりますからね。そらえらい落ち込んで、ある漫才番組の会場から打ち上げも行かんとひとりで消えたことがありました。六本木行って泣いてね。終わった、終わった思うて。それが二十六歳のときですわ。

それで、コンビやめようて思うて。で、相方に一回だけ話したんですよ。そのときに、もう無理やけど、もう一回だけやってみようと。見てる人は僕の百四十キロの球を早く感じてびっくりして笑うてくれたけど、そのお客さんも目が慣れてしもた。おまけに僕は肩を使って、今、百三十キロしか出てない。前よりスピードは遅いわ、目は慣れてしまってるわで、まったく話にならんと。それでも生き残る方法は、最後のボケを竜介に移そう。お前のしょんべんカーブでもええから、カーブを投げろ。カーブを全部オチにしていこう。それならば、僕の百三十キロ真っ直ぐも、また早く見えるやろうし、まだ使えんことはないやろうと。そしたら、竜介もやってみよう言うてくれて、とりあえず半年やってみようってやったんですけどね。

でも、その半年後にはあかんかったなという会話もなく、お互いの心の中で、もう無理やったなと。それから二年半は惰性でやってましたよね。いつやめようと、いつまで、こんな醜態をさらけ出しているんだみたいなね。自分でおもろいと思わへんこといつまでやってんやろと思いながら、前向かってへんこといつまでやってたいんやろなと、ずっと思てました」

(唐澤和也『マイク一本、一千万』より抜粋)


島田紳助という芸人が、明石家さんまやタモリの様な天才型の芸人ではなく、秀才型の芸人であるとされている要因の一つに、彼が自分という存在を含めた状況に対して、異常なほどに冷静であるという点が挙げられる。紳助・竜介が漫才師として売れたのも、それ以前に存在していた漫才を紳助が心身を削って分析したことによるものが大きい。そんな紳助の目が、漫才師としての自らを自らで見切ってしまったというのは、なんとも切ない話だ。

もちろん、コンビを解散させるということもまた、一つの道ではある。事実、コンビを解散し、ピンでの活動を始めたからこそ、現在の島田紳助があるのだ。しかし、それまで存在していたものを消してしまうということは、並大抵の意思で決断できることではない。事実、即座にコンビの終わりを感じ取った紳助でさえ、そのコンビを解散させるために、二年半の時間を要している。芸人にとっての解散とは、それほどに重々しいものなのである(ジャリズムみたいな例もあるけど)。一組の漫才師が、二人の芸人になってしまった瞬間の心境。その描写に胸を打たれたので、スクラップ。
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菅家しのぶ

Author:菅家しのぶ
お笑いDVDコレクター。2014年5月からコンテンツリーグ発行のフリーペーパー『SHOW COM(ショーコン)』で名盤DVDレビュー「神宮前四丁目視聴覚室」を連載中。

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