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『章説 トキワ荘の春』

章説トキワ荘の春 (石ノ森章太郎生誕70年叢書シリーズ 1)章説トキワ荘の春 (石ノ森章太郎生誕70年叢書シリーズ 1)
(2008/05)
石ノ森 章太郎

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“マンガの神様”と呼ばれた人がいる。言うまでもなく、手塚治虫のことだ。手塚治虫がマンガ界に残した影響力は、とてつもないものだった。映画的な表現法、雑誌を選ばない自由自在な作風、尋常じゃない仕事をこなすスピリッツ……漫画家になるために必要な才能と技術の全てを、手塚は持っていたと言えるだろう。

 しかし、その手塚と同じ時代に“天才”と称された人物がいたことを、御存知だろうか。彼の天才ぶりを証明するエピソードを紹介しよう。ある時、彼は手塚から「マンガの手伝いをしてくれないか」という電報を受け取り、宮城から上京。手塚が描いた原稿の背景を描いてくれ、と彼は言われた。ところが、手塚の原稿がなかなか上がらずに手持ちぶたさを感じた彼は、なんとキャラクターまで自分で描いてしまう。そんな上京から一週間後、彼は再び宮城へと帰った。模擬テストを受けるために。……そう、彼はまだ高校一年生だったのだ。

 彼の名前は、小野寺章太郎。後に石ノ森章太郎を名乗る人物である。

 本書は、石ノ森が「トキワ荘」で生活していた頃のエピソードを認めたエッセイになっている。ただ、その真偽がアヤフヤになっているということで、石ノ森はこれを“章説”として紹介している。<“小説”の部分もあるかもしれません>という意味なのだそうだ。“萬画宣言”もそうだが、造語を作ることが好きだったのかもしれない。

 話は、トキワ荘に入居する場面から始まる。他所に部屋を借りていた石ノ森は、その環境の悪さ(二畳半のキュークツな部屋だったそうだ)に耐えていたところ、赤塚に誘われ、トキワ荘に入居することとなった、その日から始まっている。マンガと同様、やたらと描写が映画的な文章で、その日のことが綴られている。

 その後も、トキワ荘の時代に体験した、様々な出来事について石ノ森は語っている。最初で最後の描き下ろしで大きなステレオを買った話、赤塚と流し台をフロにした話、プレイボーイだった赤塚のラブレターを代筆した話……まさに、中年男性が青春時代を楽しげに語るように、石ノ森も楽しげにトキワ荘時代を書き綴っている。

 個人的に時に楽しかったのが、トキワ荘の仲間達について書いた文章だった。皆の兄貴分として引っ張ってくれた“テラさん”こと寺田ヒロオ、イタズラ好きだった藤子不二雄、ボンヤリとしていた鈴木伸一、豪快でムチャクチャな森安直哉、マジメ過ぎるほどマジメだった角田次朗(つのだじろう)……『まんが道』(藤子不二雄)では知りえなかった、様々なエピソードが楽しく、面白かった。特に、赤塚不二夫が水野英子に手を出そうとした話には、なかなか笑わせられた。「ブレイモノめが!」

 一方で、テラさんが筆を折った話を読んだ時は、胸を締め付けられる思いがした。漫画家仲間のリーダーとして、皆を支えてきたテラさん。そんなテラさんが、漫画家を辞めてしまった。その事実も衝撃的ではあったが、その理由は更に衝撃的だった。
 

漫画が、段々ひどくなる。もう描きたくない。


 この言葉にどういった意味を含んでいるのか。テラさんが亡くなった今となっては、確認する術は無い。ただ、石ノ森は、このテラさんの発言を「世間のマンガに対する発言」として受け止めていたようだ。もしもそうだとしたら、今のマンガを見て、テラさんはどう思うのだろう……。そんな、意味の無いことをぐるぐると考えてしまった。

 楽しいことと辛いこと。色んな出来事があったトキワ荘という時代は、まさに石ノ森にとっての青春時代だったと言えるだろう。ただ、石ノ森は言う。「マンガは青春」だと。マンガを描き続ける限り、石ノ森の青春は終わらないのだ。石ノ森章太郎は、1998年にこの世を去った。最期まで彼は、青春時代を過ごしていたのだろうか。
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プロフィール

菅家しのぶ

Author:菅家しのぶ
お笑いDVDコレクター。2014年5月からコンテンツリーグ発行のフリーペーパー『SHOW COM(ショーコン)』で名盤DVDレビュー「神宮前四丁目視聴覚室」を連載中。

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