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『アキレスと亀』

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(2009/02/20)
ビートたけし樋口可南子

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北野武監督作品『アキレスと亀』を観た。『TAKESHI'S』では“北野武(ビートたけし)という存在”についての疑問を提示し、『監督ばんざい!』では“映画 ”についての疑問を提示していた世界のキタノ。そんな彼が今作で疑問を提示しているのは“芸術”だ。芸術とは果たして何物なのかということを、この映画ではひたすら思考している。

この映画の主人公、名は倉持真知寿と言う。売れない芸術家である。今作『アキレスと亀』は、彼の幼少時のエピソードで始まり、彼の中年期のエピソードで幕を閉じる。……というような説明をすると、なんとなく真知寿氏の成長物語という立身伝的な印象を持ってしまうかもしれないが、この真知寿という男。作品の中では殆ど成長しない。……まあ、それについては後ほど。
 
さて。一般的に、この映画は真知寿と妻の物語だとされている。確かに、一見するとそういう印象を受ける。ラストシーンのほのぼのとしているところなんか、まさに中年夫婦の愛といった感じ。しかし、それにしては、この夫婦に関するエピソードが少なすぎる。中年期を迎えた二人が、芸術の名の下にムチャクチャな行動に出ている姿などは、二人の絆の強さを表したエピソードと言えなくもないが……それにしたって、少ない。

思うに、この二人に関するエピソードは全て、北野監督が本来の目的である「芸術とは何か?」に華を添えるために付け加えただけの“エンターテイメント部分”でしかなのではないだろうか。言うなれば、オブラートである。あくまでも、この作品で描いているのは、「芸術とは何か?」でしかないのだ。

この作品の中で、真知寿は様々な芸術作品を作り上げる。それは時に写実的な絵画であったり、集団によるパフォーマンス的なものであったり、シュールであったりする。それらにはまるで統一性が無い。何故ならば、真知寿にとっての芸術とは、何かを表現するための行為ではなく、それ自体が目的となってしまっているからだ。だから、他人の意見にすぐ影響されて、それに合わせようとする。だから、海外で自身の芸術を評価されようと躍起になったり、芸術についておでん屋の親父に完全否定されたことを苦に自殺したりする友人たちを、ただ横目で見ている。

そのうち、真知寿にとっての芸術は、「他人がやったことのないことをする」という概念へと変化していく。モノマネからの脱却だ。しかし、その概念は真知寿を、より混沌とした世界へと引き摺り下ろしていき、遂には真知寿に人として最低の行動を取らせてしまう(このシーンには、思わず背筋が凍った)。

最後のシーンと言葉については、色々と思うことがある。あの言葉は、果たして誰に対して向けられたものったのだろう。芸術に狂った真知寿の元へと帰ってきた妻に対してのものなのか。それとも、最後の最後で自らが思う芸術を見つけることが出来た(と思われる)真知寿に対してのものなのか。個人的には、後者だったように思うのだが……どうかなあ。

(追記。このラストシーンについては、もうちょっと思うところがある。というのも、あの真知寿の取った行動は、かつて真知寿の描いた絵を強奪し、素晴らしい絵だと嘯いて売りさばいていた画商の行動に類似しているからだ。無論、その画商の行いを真知寿は知らないので、やはり純粋にそういう行動に出ただけなのだとは思うのだが……深読みしすぎかな)

北野監督の作品は過去に何本か鑑賞しているけれど、今回の作品ほど衝撃的な作品は無かったように思う。とにかく、芸術に対する偏執的な視点というか、そういったものに対するエネルギッシュな考察が凄まじかった。いわゆる北野映画とは違う意味で、物凄い覚悟を決めた作品だったんじゃないかと思う。もはや感覚で感想を書いているので、少しばかり意味不明な文章になっているかもしれないが、あまり気にしないように。雰囲気で感じろ。
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プロフィール

菅家しのぶ

Author:菅家しのぶ
お笑いDVDコレクター。2014年5月からコンテンツリーグ発行のフリーペーパー『SHOW COM(ショーコン)』で名盤DVDレビュー「神宮前四丁目視聴覚室」を連載中。

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